ペルソナの役立つ通販サイト、完売続出です、売りきれ前にどうぞ
本日、エル・エリアに、ワイルドフラワーエッセンス製品が入荷しました
今回は、2018年度の最後の発注ということで、
50本強のワーキングストックボトル(88種のフラワーエッセンス)&ベーシックコースのテキストを発注し、
そのうち国内在庫分の『30本強のワーキングストック』&『ベーシックのテキスト』が入荷致しました。
そして現在、ワイルドフラワーエッセンス協会にて、
残りの20本程も、出来る限り、本年度内に入荷するように尽力中です。
また、皆様からご注文いただいております、
各種クリーム類は、エル・エリアのヒーリングルームにストックしてある分よりお渡し致します。
いつでも準備は整っておりますので、皆様のタイミングで受け取りに来て下さい
次回のフラワーエッセンス製品の発注(=2019年最初の発注)は、1月を予定しております。
何か欲しい製品のある方は、お早めに、エル・エリアまでご連絡下さい。
ワイルドフラワーエッセンスセラピー練習会は以下の日程で開催します
(次回) 2018年12月10日 10:00~15:00 (4名様の参加が決定しています)
ワイルドフラワーエッセンスセラピー練習会は、2ヶ月に1回(偶数月)に開催しております。
※ワイルドフラワーエッセンスセラピスト練習会は、講座修了者様限定で開催しています。
ワイルドフラワーエッセンスセラピスト養成講座は、お一人様から開催しています。
現在、ご予約を沢山頂戴しておりますこと&テキストを取り寄せる関係から、
早くとも講座開講1ヶ月前までにお申し込みをお願いします。
オーストラリアン・ワイルドフラワーエッセンス・セラピスト認定コース |
癒しを必要とする人に、その状態を癒すことの出来る花に出会わせてあげられるセラピストを育成するために…そして、アボリジニ種族の知恵を伝えてゆくために…『自然の叡智』を伝承します
◆ワイルドフラワーエッセンスセラピスト養成講座の概要 病は気からと言われるように、心と体は切っても切り離せない関係にあります。フラワーエッセンス療法は、自然心身療法(Natural Body Mind Medicine)の代表です。自然のハーブが肉体を癒すのと同じように、大自然に咲くワイルドフラワーのエッセンスは『肉体と心の両方の問題を解決してゆく』と言われています。 インド洋に面する西オーストラリアのパースは、世界的に知られているワイルドフラワーの宝庫です。他には例を見ない大自然の花が、春になるとあちらこちらに咲き乱れます。ここに4万年も前から住んでいるアボリジニ民族は、太古の昔からこの大自然の花を肉体や精神の癒しに使ってきました。現代社会では多くの人がストレスを感じ、肉体的にも疲れやすく、その他、数多くの要因が、幸せや満足感から私たちを遠ざけています。 フラワーエッセンスは、それらの症状をゆるやかに、確実に癒します。自然からとれたものですので、無害、かつ、私たちの持つ自然治癒力を奪うことはなく、肉体はフラワーエッセンスの適切な癒しのメッセージのみを取り入れます。また、同時に、自分の心の内面を深く学ぶことにより、人間関係、恋愛関係、親子関係、その他、人生に起こる問題の真の原因を理解し、それをどう癒してゆけばいいのかに気付いてゆきます。 コース終了後は、自分、家族、友人、クライアントの問題を深いところから適切に癒すことが出来、問題を解決できるスキルを身に付けられます。このコース全体を通して自分や他人の人生に対する洞察が深まり、自己実現を現実に出来るようになるでしょう。 ◆ベーシックコース&アドバンスコースの講座カリキュラム
◆ライフアカデミー(オーストラリア政府認定セラピスト養成機関)と同じテキストで学べます 心から人類と地球の両方の苦しみと痛みを解決することを目的に、バスデバ・カダンビ夫婦は1987年に西オーストラリア州のパースに『ライフアカデミー(オーストラリア政府認定セラピスト養成機関)』を設立しました。 ライフアカデミーにて政府認定の資格コースの卒業生は、ホリスティック・カウンセラーとして心理学、心理療法セラピスト、また医療・介護現場、学校などで、人々の健康や福祉に貢献しています。 エル・エリアでは、ライフアカデミーフラワーエッセンスコース学位号(3年コース)の一部から構成されたカリキュラムを学ぶことが出来ます。その際には、ライフアカデミーと同じテキスト、授業方法を利用して、技術と知識を提供しています。コース終了後、筆記と実技の認定試験を合格された方には、NPO法人ワイルドフラワーセラピスト協会(ライフアカデミーの日本校)より認定証を発行しています。 世界中の幸せな顔に出会えますように…フラワーエッセンスを扱うためのプロフェッショナルになり、どうやったら自分や周りの人が良くなってゆくのか講座を通して理解してゆきましょう。 『癒しの必要にある人に、その状態を癒すことの出来る花に出会わせてあげられるセラピストを育成するために』『アボリジニ種族の知恵を伝えてゆくために』この講座は開かれています。
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今ほどペルソナが必要とされている時代はない
こんにちは、ましろです!
以前四季さんにアドバイス貰ってやっとこさクリアしてきたソロ花にまた行ってみました。
ギリギリSランク取れました!
ソロ花称号げっとだぜ!!!(*’ω’*)
ペルソナとの1対1もグランツでごり押し出来たのでだいぶ火力上がったみたい?
複合使わずに倒せるのかー( ゚д゚)ってなってました。
で、後は鏡さんとSS撮りに行って来たり。
背中を任せられる相棒的な?
親友コンビやっぱり好きです…尊さに悶え転がりたい!!!!三(‘ω’)三( ε: )三(.ω.)三( :3 )三(‘ω’)三( ε: )三(.ω.)三( :3 )ゴロゴロ
燈さん側からも撮ってみた(`・ω・´)キリッ
最後の一枚だけレインがゴコウバオリに着替えてますね。
いやカブキグフウだと身長伸びちゃって何かアレだから着替えましt(ry
レインはやっぱりチビじゃないtおっと誰か来たようだ…
因みにお花畑で撮りたくて12人用徒花トリガーをNで受注しましたww
ペア徒花とかも結構面白い(一応やった事ある)けど多分私が全力で足引っ張るので無理かな…。。
それでは今日はこの辺で!
ついでにおまけ。
ついに出ましたモタブの禁書!!
これで欲しい☆14武器が一通り揃いました~。近いうちに強化とOP付け出来たらいいなぁ。
進歩のマークペルソナ
第482話/ウシジマくん68
滑皮が鳩山に呼び出されて、豹堂と暗に意志確認を行ってきた帰りである。鳶田の運転でホテルに向かいながら、どういうはなしだったか話す。鳩山の言い分は、身内なんだから仲良くやれ、揉め事を起こすな、ということだ。しかしじっさいには、彼は滑皮と豹堂をぶつけるつもりでいる。つまり、鳩山の言いたかったことは、「俺の見えるところでもめるな」ということになる。
滑皮もその意図がわからないでもないだろうが、とりあえず仲良くしろといわれた事実にちがいはない。鳶田は丑嶋を使って豹堂を殺そうとしていることを心配するが、もとより滑皮は、そのつもりで丑嶋を使っている。要は、丑嶋は身内ではない、他人なのだ。
部屋の前について、いつものように鳶田が見送る。滑皮は、いままでの癖で、つい「お疲れ。梶尾。鳶田」といってしまう。鳶田はいっしゅん反応するが、すぐに知らないふりをするのだった。
とっさに出てきた習慣的な身振りで、じぶんの深層が自覚されてしまうということはある。滑皮があのように梶尾の名前を呼んでしまうことは、彼の喪失を見た目ほどには実務的に処理できてはいないことを示している。滑皮じしんは、梶尾の死を豹堂殺害への動機とすることである種ヤクザとしての報いを梶尾に与え、同時に滑皮のなかで梶尾の死は関係性のなかの「ヤクザの死」として変換されたはずである。ところが、梶尾が当たり前にいた日常の記憶は、コンピュータから不要なデータを消去するようには消えてくれないのである。
シャワーを浴びている滑皮が壁を殴る。少なくとも二度殴っていて、かたい壁を殴ったために拳が破れて血が出ている。すぐよこにシャワーがあって、そこは鏡になっているが、このぶぶんはどういう素材になっているのだろうか。ささいなことではあるが、鏡のなかに滑皮の姿がうつっていない。あとで見るが、滑皮にとってこのようにホテルの部屋のなかで、全裸になり、鏡の向こうのイレズミを確認する作業は、一種の確認である。それが見失われているのである。
水道で拳の血を洗う姿は、かつて、おそらくヤクザの仕事としてははじめて人を殺したときのあのものに重なるぶぶんがある。あのときは掌から血が出ていたが、滑皮もその感触をちょっと思い出しているのかもしれない。
さて、柄崎母の誕生会に乱入してきた戌亥である。戌亥はまず尾行を心配している。丑嶋は、尾行の心配はなし、知人から借りた代車でGPSも大丈夫なはず、というふうに説明する。酒が入っているのもあるだろうが、今回の丑嶋はよくしゃべる。そうか、戌亥は、解説キャラではなかったのだな。丑嶋とか滑皮とか、ぜんぜんしゃべんなくてなに考えてるかわからない人物のくちを開かせる位置なのだ。
そもそも尾行の心配をして生きていることがふつうではない。戌亥は、何度目かの「街を出ろ」をくちにする。たとえば、中国に行けば借金まみれの労働者が道にあふれている、丑嶋なら言葉もすぐ覚えるだろうから、そういうところで再起をはかってみてはどうかと。
それはまあいい。丑嶋にはどうしても聞きたいことがあった。なぜ滑皮についたのかと。もちろん丑嶋も、戌亥が滑皮と関係していることは知っていただろう。というか、戌亥にはそれが仕事なので、関係するなというのがむちゃなはなしである。丑嶋がいっているのはこれまでのことではなくて、いまの決定的な状況に至るまでのことだ。たとえば、旧シシックの金や隼人が奪った鼓舞羅の金などを丑嶋が隠し持っていたことを、滑皮は知っていた。それから、丑嶋の行動を制限しているもっとも大きなものとして、遠くにいる高田と小百合である。甲児は彼らの居場所を知っていた。おそらく滑皮に聞いたのだろう。では滑皮は誰から聞いたのか。こうした具合に、ちくちくと、丑嶋は行動をとりにくくなっていったのだ。これまでの緊張状態で、戌亥が職業的八方美人でいた状況とは、ちがってきているのである。とはいえ、その原因は、滑皮がいよいよ本気を出し始めたというところにあるだろう。戌亥としては、滑皮のおそろしさを知っているから、聞かれたら応える、というところだった。しかし、彼は情報屋であって誰かのスパイではなかったのだから、逆にいえば「聞かれなければいわない」ものだったのだ。そのバランスが崩れたのは、滑皮じしんが崩そうと動き始めたからなのだ。戌亥だけを責めるのも酷なはなしである。
しかしげんにそうして丑嶋が追い詰められていることはまちがいない。弱みでも握られているのかというと、そうでもない。戌亥は、丑嶋は自分のためだけに生きているが、滑皮は広く全体を考えている、という、よくわからないこたえかたをする。だから滑皮についたということなのだろうか。滑皮は裏の世界で天下をとるかもしれない。たぶん、そのほうがじぶんに得だというより、つかないのは損、あるいは実害に至る、というようなニュアンスだろう。
柄崎と柄崎母はそのまま眠ってしまい、夢のなかでごはんを食べていて和む。が、ふたりの激論はつづく。街を出ないなら、やはりヤクザになるべきではないか。丑嶋は、いまさらそんなことしたら笑われるという。「親分が言うことが絶対の世界なんて俺には到底無理だ」と。ここでは暴排条例にも触れられる。携帯持っただけで詐欺になるヤクザが、どうやって天下をとるのかと。稼げないのに上納金は大きく、週の半分は電話番してて仕事もろくにできない。まあ、仕事人間というか、合理的な丑嶋からしたらいかにもアホらしい。それに、丑嶋は客としてのヤクザもたくさん見てきた。クスリ漬けの女に食わせてもらうくらいしか生きるすべがないような連中ばかりだったのである。丑嶋の世界には、滑皮が梶尾たちの前にあらわしたような「かっこいいヤクザ」の姿は、少しも浮かんでこないのである。
さらに丑嶋は、「滑皮の野郎がなんでヤクザになんかなったのか気が知れない」とまでいう。この発言は、少し貴重である。なぜなら、この語調からは、感情移入のよすがが見て取れるからである。丑嶋にとって滑皮は、圧倒的に理解を絶した他者、ではないのだ。たとえばこのはなしを、総理大臣についていっているものと変換してみれば、その奇妙さがわかるかもしれない。
戌亥は、滑皮のことは好きではないという。丑嶋のほうがよほど大切な友達だ。だが、と続くのだろう。戌亥は滑皮のことばを思い出す。滑皮は、出世にはそんなに興味がない。ただ、「滑皮のところはヤバイ人間揃いだ」とおもわれたら最高だ。なぜなら、「ヤクザは究極の話暴力だ」からだ。理解を絶した狂人のようなあつかいでちょうどいい。そうすれば、座布団も金も自然についてくると。
ベランダで話しているふたりは、向かいの団地を見ているかっこうだ。実家の団地にいたころの戌亥は、窮屈でそれが嫌いだった。しかし探偵業をはじめて、ひとの堅実な生活を崩すようなことばかりしていると、ふと、団地のカーテンの向こうにあるおもいを馳せてしまうのである。
「みんな素の顔に無自覚で 街中歩いてるけど、
あの明かりの向こうでは
それぞれの役目をちゃんといきているんだなぁって」
そうしたところに電話がかかってくる。むろん滑皮である。
つづく。
やれやれ、滑皮、丑嶋、戌亥と、最重要人物3人の描写が深まった重量級の回であった。
滑皮は、なぜだか丑嶋が柄崎家でお祝いをしていることを知っている。戌亥が教えたのかもしれない。と同時に、尾行など心配ないといっていた丑嶋は、電話を見る前からそれが滑皮だと理解していた。つまり、戌亥がきた時点で、ここの場所は割れたということを、丑嶋は悟っていたのである。
滑皮は、いつもの癖で梶尾の名前を呼んでしまった。そのときに、滑皮の内側に抑圧されていた身体性のようなものがあたまをもたげている。ひとことでいえば、彼の情念である。滑皮は、生を全面的にヤクザとして貫徹することで、いまのありようを確立している。そのしるしが、イレズミと自重トレである。自重トレでは、存在そのものが負荷となる。筋肉は、次に同様の負荷がかけられても対応できるように成長する。滑皮は、背負うものも多いその大きな存在そのものに負けないよう自重トレを行うのである。
ホテルでのイレズミ描写は、たいがい鏡とセットである。ふつう、風呂に入るときひとはからだになるので、それだけのことではあるのだが、滑皮は鏡を経由して、じしんのフィクションとしてのありようを確認するのである。これを、ジャック・ラカンでは鏡像段階という。むろん、厳密には、幼児の人格形成期に行われることではあるが、滑皮ではヤクザの人格が後天的に装着されたものでもあるため、そう遠い指摘でもないだろう。ラカンでは、自我というものはあらかじめ備わっているものではないのである。鏡像、あるいは鏡像のようなものを通して、身体を操作する感覚と等しい動きをとるなにかと同一化することで、いわばフィクションとして自我が形成されるのである。身体の操作の感覚に納得がほどこされる、というようなところだろうか。
滑皮と丑嶋は本質的に同根である。今回の丑嶋の、なぜ滑皮がヤクザを選んだのかわからない、というような発言もそうしたところから出ているだろう。ふたりは、父なるものをどのようにあつかうかという点で分岐した。丑嶋は、今回もそんなことをいっていたが、搾取するものとしての父、そして父子の構造を徹底的に拒むことで、いまのポジションに到達した。たいして滑皮は、丑嶋と同じく父にいい記憶がないにもかかわらず、それを属人的なものとして処理したか(構造ではなく、じぶんの父が悪い)、あるいはそう思い込もうと努力しているのか、父子の関係に美しいものを見出そうとしている。それが、理不尽に耐えながら熊倉に敬意を示し、それじたいを梶尾たちに見せつけ、じしんもかっこいい兄貴でい続けようとしたことの原動力だ。こういう気持ちを丑嶋が理解できるはずはないのである。丑嶋は、父という概念を捨て去ることでウシジマくんになったのだ、そんな彼が、父に敬意を払う、ということに美学を見出すありようを理解できるわけがないのだ。
そして滑皮は、ほんらいの父との関係を棄却し、あらたな関係を人工物に求めるためか、生を全面的にヤクザなものに変えていく。これを、いままでは「ハレ」と「ケ」を用いて考察してきた。ふつうの人間の生活でも、たとえば仕事をしているときと家で家族と過ごすときでは心持ちが異なっているだろう。彼らはそれが徹底して分離している。丑嶋も、ウシジマくんとして、かなり徹底して「ハレ」にいるように努めているが、彼にも母(うーたん)という安らぎの場所がある。しかし滑皮はそうならない。いま考えついたことだが、それには理由がある。彼は、「ケ」を思い出すわけにはいかないのである。なぜなら、彼の原風景に生きている父は、否定すべきものだからだ。父を肯定する「ハレ」の場所に立ち続けるには、生を全面的にそういうものにし、もしハレとケのちがいがあるのだとしても、それは一次的な「ハレ」の内側でわかれるものでなければならないのである。
そうして、たしかにじぶんはヤクザである、ということを鏡像段階的に確認するために、鏡の前でイレズミが示される。その前で、今回の滑皮は冷静を保てない。たんなる作画の揺れかともおもわれるが、滑皮の足がうつっていても不思議はない鏡に、それがないのだ。彼はいま、鏡の向こうにいるじぶんを見失いつつあるのである。なぜかというと、梶尾への情念が、全面的に「ハレ」であるところの「ヤクザ滑皮」のなかにはありえないことだからである。梶尾の死は、ヤクザの死である。滑皮はおそらく、それを心理的な口実、大義として、豹堂殺害をいよいよ実行に移そうとしているわけである。その意味で、梶尾の死は報われている。梶尾は、ヤクザとして、滑皮の役に立っているわけだ。親分としての滑皮は、それを過不足なく拾うだけだ。しかし、じっさいの人間どうしの関係では、そのようにひとの死を処理することはできない。保険金をもらったり、四十九日がすぎたりしたら、きれいさっぱりそのひとの記憶がなくなってしまうわけではないからである。しかし、「ハレ」のなかにいる「ヤクザ滑皮」には、ほんらいそうした情念はありえない。それが兆してしまった。これが、滑皮を強く揺さぶるのだ。
今回は戌亥経由の滑皮描写もあった。発言じたいもそうだが、滑皮がこうしたはなしを戌亥にしているというのも考えてみればおもしろい。彼は、一日のどの瞬間を切り取っても「ヤクザ滑皮」である。ヤクザのものは、滑皮を、尊敬したりうとましくおもったりするし、カタギのものは、知らないか、恐れ、無
係でいたいとおもうだろう。事実として、滑皮に「ヤクザ滑皮」として接するものしか、彼のまわりにはいないのである。しかし、ふわふわとどこにも腰をすえない戌亥は、いかにも話しやすい。今回丑嶋がやたら饒舌だったのもそういうことだろう。いってみれば戌亥は、なにものでもないのである。だから、みんなけっこうぽろっと本音が出てしまう。このことはこのあとさらに考える。
そして滑皮がなにを語ったのかというと、「ヤクザは暴力」という、飯匙倩と同じことなのであった。いずれの場合も、ヤクザは「かかわったらたいへんだ」という具合に、相手の想像力に訴えかけるしかたで仕事をする。だから、なめられる、つまり、潜在する暴力の量を低く見積もられると、仕事ができなくなる。ハブが丑嶋にこだわったのはそういうことである。だから、このはなしはヤクザには真理だろう。問題なのは、戌亥がなぜこの場面を、このタイミングで思い出したのかということだ。つまり、戌亥は滑皮のどういうところをみて、天下をとる、極端だと感じたのか。出世には興味はない、というのはまあまあ意外だが、暴力のくだりなどは、ハブサンを踏まえた我々からすると、案外すんなり受け止められる言い分である。重要なのはたぶん、狂人扱いでいい、というところなのかもしれない。逆に言えば、なぜひとは、狂人扱いを嫌がるのだろうか。それは、そうではないからである。狂人でないのにそのような扱いをされたら、もし表面に出ている行動がそれにちがいないものなのだとしても、<ほんとうはそうではないのだ>という気持ちは、当然出てくるだろう。ここには、「ほんとうのわたし」を正しく見てもらいたい、という欲望が感じられる。別に難しいはなしではない。じぶんのことをバカだとはおもっていないところでバカあつかいされたら、そんなことはないのにと、誰だっておもうのだ。しかし滑皮はここから先を切り捨てる。「ほんとうのわたし」は、鏡の向こうに、イレズミとともに確認できる「ヤクザ滑皮」であり、それを見てひとがおそれ、狂人扱いをするなら、それは正しい反応なのだ。彼にとっては鏡の向こうのじぶんこそが全体であり、その内側、「ほんとうのわたし」などというものは、「ケ」とともに生の外側にしめだしてしまったのだ。鏡像段階ではフィクションとして自我が構築される。滑皮にとっては、鏡の向こうに見えているそれが、そのまま、他人の見ているわたしにほかならないのである。
今回は戌亥の描写も深まった。なんでもない描写だが、引用した団地のくだりである。戌亥は、カーテンの向こうにある家庭において、ひとびとがそれぞれの役目を果たしているという。「みんな素の顔に無自覚で街中」を歩いているというのがちょっとよくわからないが、まあ、ぼーっとなにものでもないような顔でいる、くらいのことだろうか。認識としてはわからないことではないが、ふつう、これは逆ではないだろうか。これは要するに「ハレ」と「ケ」が、カーテンを境に分節しているというはなしなのだが、個人主義的な、一般の認識では、まず「ケ」があって、必要に応じてペルソナが装着される、それぞれの社会的役目を果たす、というのが、通常の見方ではないだろうか。
だが、以上の考えを踏まえていえば、わからないことではない。丑嶋も滑皮も極端だ、というはなしは、要するに、ふたりともじぶんの役目を徹底的に貫きすぎだ、というはなしなのだ。そのいっぽうで戌亥は、職業上の理由もあって、むしろなにものでもないことが望まれる。尾行などしているときに、存在感いっぱいでは成り立たないからだ。どこにも属さない戌亥は、丑嶋の依頼も、滑皮の依頼も、等価にこなすことができた。ある意味では戌亥もまた、徹底して「ケ」を排除して、仕事に努めてきたのだ。本来であれば、「ケ」に属する丑嶋の肩を持ちたいところである。しかし滑皮へのこわさもあってそれはできない。結果、彼は滑皮とは逆に、生を全面的に漂白して、なにものにもならないことで、裏社会をサバイブしてきたのである。そんな彼は、社会のシステムにおいてそれなりになにものかであるだろうひとびとが、「素の顔に無自覚で」としかうつらない。それは、彼らの背景に「それぞれの役目」の備わった「ケ」を見て取れるからである。戌亥は、仕事を行ううえで、なにものでもないものを貫徹する。しかしそうするためには、私情をはさむことはできない。結果、彼もまた「ケ」を失う。そうしたうえで周囲を見てみると、同様にして社会で生きているものたちがぼんやり歩いている。戌亥には、じぶんがそうであるから、彼らもまたなにものでもないものにしか見えない。しかし、それなのに、彼らには「ケ」があるのである。
おそらくこれは、戌亥が、結果としては滑皮に加担することになりつつある現状によって呼び込まれたものだろう。どこにも属していないはずなのに、事実としてはそうではなくなりつつある。だとするなら、じぶんはなんなのだろう。こういうところで、抑圧してきた「ケ」が回帰しつつあるのだ。
※noteに真鍋昌平論を書きました!
ブログとは異なったアプローチで書いてるので、超長いですが、よろしくお願いします。
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680円
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ペルソナ 住まいの夢を創る
本日、エル・エリアに、ワイルドフラワーエッセンス製品が入荷しました
今回は、2018年度の最後の発注ということで、
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ワイルドフラワーエッセンスセラピスト養成講座は、お一人様から開催しています。
現在、ご予約を沢山頂戴しておりますこと&テキストを取り寄せる関係から、
早くとも講座開講1ヶ月前までにお申し込みをお願いします。
オーストラリアン・ワイルドフラワーエッセンス・セラピスト認定コース |
癒しを必要とする人に、その状態を癒すことの出来る花に出会わせてあげられるセラピストを育成するために…そして、アボリジニ種族の知恵を伝えてゆくために…『自然の叡智』を伝承します
◆ワイルドフラワーエッセンスセラピスト養成講座の概要 病は気からと言われるように、心と体は切っても切り離せない関係にあります。フラワーエッセンス療法は、自然心身療法(Natural Body Mind Medicine)の代表です。自然のハーブが肉体を癒すのと同じように、大自然に咲くワイルドフラワーのエッセンスは『肉体と心の両方の問題を解決してゆく』と言われています。 インド洋に面する西オーストラリアのパースは、世界的に知られているワイルドフラワーの宝庫です。他には例を見ない大自然の花が、春になるとあちらこちらに咲き乱れます。ここに4万年も前から住んでいるアボリジニ民族は、太古の昔からこの大自然の花を肉体や精神の癒しに使ってきました。現代社会では多くの人がストレスを感じ、肉体的にも疲れやすく、その他、数多くの要因が、幸せや満足感から私たちを遠ざけています。 フラワーエッセンスは、それらの症状をゆるやかに、確実に癒します。自然からとれたものですので、無害、かつ、私たちの持つ自然治癒力を奪うことはなく、肉体はフラワーエッセンスの適切な癒しのメッセージのみを取り入れます。また、同時に、自分の心の内面を深く学ぶことにより、人間関係、恋愛関係、親子関係、その他、人生に起こる問題の真の原因を理解し、それをどう癒してゆけばいいのかに気付いてゆきます。 コース終了後は、自分、家族、友人、クライアントの問題を深いところから適切に癒すことが出来、問題を解決できるスキルを身に付けられます。このコース全体を通して自分や他人の人生に対する洞察が深まり、自己実現を現実に出来るようになるでしょう。 ◆ベーシックコース&アドバンスコースの講座カリキュラム
◆ライフアカデミー(オーストラリア政府認定セラピスト養成機関)と同じテキストで学べます 心から人類と地球の両方の苦しみと痛みを解決することを目的に、バスデバ・カダンビ夫婦は1987年に西オーストラリア州のパースに『ライフアカデミー(オーストラリア政府認定セラピスト養成機関)』を設立しました。 ライフアカデミーにて政府認定の資格コースの卒業生は、ホリスティック・カウンセラーとして心理学、心理療法セラピスト、また医療・介護現場、学校などで、人々の健康や福祉に貢献しています。 エル・エリアでは、ライフアカデミーフラワーエッセンスコース学位号(3年コース)の一部から構成されたカリキュラムを学ぶことが出来ます。その際には、ライフアカデミーと同じテキスト、授業方法を利用して、技術と知識を提供しています。コース終了後、筆記と実技の認定試験を合格された方には、NPO法人ワイルドフラワーセラピスト協会(ライフアカデミーの日本校)より認定証を発行しています。 世界中の幸せな顔に出会えますように…フラワーエッセンスを扱うためのプロフェッショナルになり、どうやったら自分や周りの人が良くなってゆくのか講座を通して理解してゆきましょう。 『癒しの必要にある人に、その状態を癒すことの出来る花に出会わせてあげられるセラピストを育成するために』『アボリジニ種族の知恵を伝えてゆくために』この講座は開かれています。
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アルファギークがこっそり教えてくれるペルソナの真実
真剣な婚活専門☆マンツーマンサポートで早期成婚に導きます!
【生年月日から導き出すBIRTH編】
●ライフパス(生まれ持った資質・才能、能力、通っていく道)
●その年のサイクル運気
●人生を4つのサイクルにわけて導かれるテーマ(カラーヒストリー)
【名前から導き出すNAME編】
●ペルソナ数(他人から見たあなたの姿)
●ハート数(魂が本当に求めているもの、譲れない部分)
●表現&使命数(社会に対して表現していくこと、社会における役割)
●相性(ご希望によって)
現代において数秘術とは、
日程▶︎12月15日土曜日
時間▶︎11時30分〜13時30分
場所▶︎相模大野駅周辺のカフェ
持ち物▶︎筆記用具
参加者▶︎女性限定
参加費▶︎1500円(別途各自飲食代)
楽しくお話をしながらのセッションとなります。お気軽にお問い合わせ下さいね
マリアージュ.comが加盟して
るIBJ は
日本最大級の会員数の方が在籍してます
10月は2570名が入会し会員数は60389名
会員数が多いのでお見合いも組みやすいのが特徴です
お見合いが組みやすい
出会える人が沢山いる
お互いにまた会いたいと思える人に出会える
交際する確率が広がる
成婚に繋がる
会員数が多いと
今まで出会わなかった職業の人
出会うことのなかった全国の地域の人
出会えることのなかった年代の人
本気で結婚しようと行動してる方に会えるのです
10月は30486件お見合いが組まれました。
マリアージュ.comの会員様もほとんど毎週お見合いをされ、目の前にいるお相手と
今後交際したいと思えるかどうか
自分の目で見て感じて頂いてます
特にマリアージュ.comでは
お見合い申し込み数は無制限
お見合い料も発生しません
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◇「出会いはあるのに結婚に進展しない!」
◇「自信がなくて積極的になれない!」
◇「自分に合う婚活法はなに?」
◇「どんな人が結婚相手に向いてるの?!」
◇「求められる女になりたい」
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お申し込み時に聞きたいこと悩みなどをお伝え頂けるかたは、よろしくお願いします
[参加費]
無料
(ご自身のお茶代のみお支払いください)
[場所]
海老名駅から徒歩3分のカフェ(こちらから場所のご連絡をさせていただきます)またご希望のお店がありましたらお伝えください♡
※友達同士の参加もOKです
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HPはこちらから
田口 エミは真剣に結婚を考えているあなたのために全力でサポートいたします
IBJ日本結婚相談所は業界唯一の上場企業が運営する日本最大規模の結婚相談所ネットワークです。
神奈川県 神奈川 横浜 川崎 湘南 鎌倉 藤沢 茅ヶ崎 大和 海老名 座間 相模原市 横須賀市 逗子 三浦市 秦野 厚木 伊勢原 愛川 津久井 相武台 相武台前 相模大野 東林間 南林間 鶴間 湘南台 藤沢 町田 新百合ヶ丘 世田谷 代々木上原 新宿
小田急線 相模線 相鉄線 横浜線
ペルソナ 関連ツイート
本日分11月17日(土)の整理券の配布は終了いたしました、
カフェご利用のお客様はカフェお会計終了時に
人数分お渡しいたしております。
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