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この価格なら、モテるためにを欲しくなっちゃうかもよ~!

以前の、「出会い力」を高める6ステップについての続きです。

おさらい

<<「出会い力」を高める6ステップ>>

①自分の魅力に覚醒する

②自分に合った異性のタイプを知る

③恋愛偏差値をあげる(男女の違い・過去の自分の恋愛失敗から学ぶ・恋愛と結婚の違い)

④出会うための行動(自分の性格に合った出会い方・出会いのスピリチュアルな意味を知る)

⑤出会ったときの用意(見た目・雰囲気・表情)

⑥自分を信じる力、あきらめない心(幸せな未来を受け入れる勇気・想像力、前向きな姿勢)

 でした。

今日はその1

「自分の魅力に覚醒する」

自分の魅力ポジション知ってますか?

モテるために頑張った、女の子らしくみえる甘く可愛いメイクやファッションがあなたに似合うとは限りません。

あなたの魅力は甘さではなく、爽やかさかもしれません。

個性やキャラクターによって、魅力を発揮できる(勝てる)ポジションは違います。

魅力を発揮できるポジションを知り、自分の個性やキャラクターに磨きをかけるべきです。

魅力ポジションを知ることで、自分の磨くべき方向もはっきりすると、みるみるモテるようになります❤️

あなたって

甘~いスイート系?

さっぱりさわやか系?

しっとり美女系?

まじめな淑女系?

頭が切れる才女系?

個性が光る天然系?

しっかり姉御系?

おしゃれアーティスト系?

おっとり聖女系?

自分のキャラクターに合った男性がきます。

もういちど自分のキャラを見直してみて!

数愛占術で分析する魅力キャラクターについては、また改めてかきますね。

自分のキャラって、自分じゃわからなかったり。

友達や周りの人に「私って何系だと思う?」ってきってみるのもよいですね。

ちなみにあなたの性格タイプは、人相では「眉」に現れます。

「濃い眉」
活力があり、上昇志向。仕事を成功させたい。競争の激しい中でも成功しやすい。

「薄い眉」
繊細でアーティスティック。小さなことにも気が付く、心やさしい人。精神的には打たれ弱い。

「上がり眉」
自分の意志を持っている。・自立心が強く、人に依存したくない。学ぶことが好き

「下がり眉」
世渡り上手・コミュニケーション上手。お人好しで、人といるのが好き。さみしがり屋

あなたはどのタイプ?

おひとりさま顔から結婚できる顔になる
「結婚フェイスアカデミー」 

写真は朝食のチキンサンド❤️

今日も楽しく行きましょう〜
続き②自分に合った異性のタイプを知るはこちら↓

♡結婚を引き寄せる人相

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フリッパーズ・ギターの2枚目のアルバム「カメラ・トーク」のリリース日は1990年6月6日で、昨日は発売から28年目の記念日だったようだ。

私は「カメラ・トーク」のCDを発売されてからすぐに渋谷ロフトの1階にあったウェイヴで買い、オレンジ色のキーチェーンのようなものをもらった。しばらく机の引き出しの中に入っていたが、いつのまにかなくなっていた。私がこれまでに聴いてきたすべてのアルバムの中で、これが2番目に好きである。フリッパーズ・ギターのアルバムでは世間一般的には「ヘッド博士の世界塔」、あるいは逆に「three cheers for our side〜海に行くつもりじゃなかった」の方が評価が高いのだろうか。あるいはフリッパーズ・ギター解散後のメンバーのソロ・アルバム、小沢健二「LIFE」、コーネリアス「FANTASMA」の方が評価が高かったりもする(「ミュージック・マガジン」2016年7月号の「90年代の邦楽アルバム・ベスト100」では1位が小沢健二「LIFE」、3位がコーネリアス「FANTASMA」、4位がフリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」に対し、「カメラ・トーク」は27位であった)。
しかし、私個人的には楽曲の好みや当時の意識や日常への影響力などを考慮しても、「カメラ・トーク」が最も重要であり、かつ今日も好きである。
とはいえ、当時、私はけしてフリッパーズ・ギターを好んで聴いているコアの層ではなかったし、いまでもそうだと思う。新しいポップ・ミュージックの1つとして聴いてみたらたまたますごく良かったというか、その程度の印象である。フリッパーズ・ギターの音楽を聴くことによって、より強い影響を受けていた人たちを当時、何人も見ていたし、実際には会ってはいない人たちの存在も認識していた。そのような人たちと比べると、私の好き具合などというのはいつもながら浅くていい加減なものである。自分にとってはそれぐらいがちょうどいいし、特定の物や人に深くコミットすることには向いていないし、おそらく望んでもいないのだと思う。
先日、とあるフリッパーズ・ギター文化圏の中心にいらっしゃった方の文章を読み、はげしく感動した。これこそが本物だと思った。だから、私は周縁も周縁にいた者としてのリアリティーを、私だからこそ書けることを書いていこうと思った。
何度か書いたように、1989年にフリッパーズ・ギターがデビュー・アルバム「three cheers for our side~海に行くつもりじゃなかった」がリリースされたとき、大学の友人からすすめられはしたが、私は興味を持たなかった。その頃、もうすでにインディー・ポップのようなタイプの音楽は新しいと思えず、それほどおもしろく感じられなくなっていたのだ。また、特に日本人アーティストの場合には歌詞を重視する傾向があり、当時でいえば岡村靖幸やエレファントカシマシ、いとうせいこうの「MESS/AGE」などに衝撃を受けていた。フリッパーズ・ギターの曲は歌詞が英語だと聞いていたので、それならば洋楽を聴けばいいじゃないかという、その程度の認識しかなかった。
1990年になってからリリースされたシングル「フレンズ・アゲイン」も英語の歌詞ではあったが、何だか少し話題になっていて、日本のポップスの最新型の1つのようにも思えたので、シングルCDを買っていたのだった。当初、5人組のバンドであったフリッパーズ・ギターは、この頃には小山田圭吾と小沢健二の2人組になっていた。そして、5月5日にシングル「恋とマシンガン」がリリースされ、今度は歌詞が日本語だと聞いて、期待して聴いてみたところ、これがすごく良かったのであった。カップリングの「バスルームで髪を切る100の方法」には、私が高校生の頃に大好きだったザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」からの影響が感じられ、しかもそれが安っぽい引用などではなく、理解と愛情に裏打ちされた最高のオマージュのように聴こえたのだった。そして、歌詞がそれまでの日本のポップ・ミュージックにはなかったようなスタイリッシュなもので、それでいて明らかに大切な感情は表現されているのだ。これは新しくてカッコいいと思った。
当時のフリッパーズ・ギターが強い影響を受けていたといわれるアズテック・カメラやザ・スタイル・カウンシルを、私はかつて好きではあったのだが、当時の継続してずっと特別に好きでいたかというと、別にそうでもなかった。「カメラ・トーク」を聴いて、やはりあれはすごく良いもので、いまでもカッコよく聴くことができるのではないかと思い、聴き直すようになったのであった。
大学の帰りに寄った渋谷のウェイヴで「カメラ・トーク」のCDを買った私は、井の頭線と京王線とを乗り継いで、当時住んでいたワンルームマンションに帰った。コンビニエンスストアの夜勤のアルバイトがあったので、仮眠をするために窓にシャッターを下ろした。CDプレイヤーのトレーに開封した「カメラ・トーク」のCDを載せ、再生ボタンを押した。ベッドに横たわり、スピーカーから流れる音楽を聴きながら眠りにつこうとした。シングルは良かったがアルバム全体はどんなものか、その時点では過度の期待はしていなかった。1曲目はシングルで何度も聴いた「恋とマシンガン」である。この曲はテレビドラマ「予備校ブギ」の主題歌に使われ、そこそこヒットしてもいたようだ。私はそのドラマを一度も観たことがない。イントロのスキャットは「黄金の七人」という映画サントラから引用されていると後に知るのだが、この時点ではそんなこともまったく知らない。ただいまどきの日本のポップスにしては洒落ていて、歌詞もユニークだし、ヴォーカルにナイーヴさが感じられるのがすごく良いと思った。
そして、2曲目の「カメラ!カメラ!カメラ!」だが、この曲はこのときに聴いたのがはじめてであった。後にシングルでリリースされたのはギター・ポップ・ヴァージョンだったが、「カメラ・トーク」に収録されていたのは打ち込みポップスとでもいうようなものであった。それがこのときにはすごく新鮮だったのだ。フリッパーズ・ギターといえば何となくネオアコのようなものに影響を受けたユニットという先入観によるものだったのかもしれないが、この時期にこのようなタイプの音楽をやっているアーティストはあまりいなかったのではないだろうか。
「カメラ・トーク」には他にもボサノバやサーフ・ロックや映画音楽、もちろんネオ・アコースティックやギター・ポップなど、当時の日本のポップ・ミュージック界では主流ではな
タイプの音楽がたくさん収録されていた。そして、歌詞は文学的であり、これもまた当時の日本のポップ・ミュージック界においてはひじょうにユニークなものであった。
ここからはおそらくフリッパーズ・ギターそのものについては、あまり書かないような気がする。当時の日本のポップ・ミュージック界において、明らかにユニークでありすぎた「恋とマシンガン」がオリコンのシングル・ランキングで17位、「カメラ・トーク」がアルバム・ランキングで6位とそこそこヒットし、さらにそれの順位以上の影響力を、後の日本のポップ・ミュージック界に及ぼしていった。それでは、なぜこのタイミングでそれが起こってしまったのだろうか。ここからは、主に当時、フリッパーズ・ギターを欲望した状況について、いろいろ思い出しながら書いていきたい。
「ロックでなければ何でもいい」というのは、1970年の後半にイギリスのポストパンク・バンド、ワイヤーのメンバーが言った言葉らしい。当時、私は旭川で流行歌かせめてラジオから流れる洋楽のディスコ・ヒットぐらいしか聴いていなかったので、この言葉が発せられた状況がどのようなものであったかを理解してはいない。しかし、「カメラ・トーク」がリリースされた1990年当時、わりとこのような気分にはなっていたような気がする。
ローリング・ストーンズとかRCサクセションとか佐野元春とかが好きだったので、おそらく私はロック好きだったのであろう。1990年当時の日本はバンド・ブームであった。原宿の歩行者天国では多くのアマチュア・バンドが路上で演奏し、人気があるものには多くのファンが集まっていた。また、1989年から放送が開始されたテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」が、ブームを全国に広めたともいわれている。氷室京介はスピニッヂ・パワーというバンドのメンバーだったらしい。ディスコ・ブームの頃に「ポパイ・ザ・セーラーマン」という曲を歌っていたバンドだが、当時のヴォーカリストはまた別の人で、氷室京介はその3代目のヴォーカリストだったらしい。しかし、あまりうまくいかずに地元の群馬に帰ろうとしていたのだが、1980年に日比谷野外音楽堂で観たRCサクセションのライブに刺激を受け、後にBOOWYとなるバンドを結成したのだという。
1980年代の半ばまで、日本のロックといっても、それは実体のよく分からないものであった。RCサクセションとかがおそらくそうだったのだろう。後は内田裕也が中心となって、安岡力也とか桑名正博とかが出演するニューイヤーズワールドロックフェスティバルというのが毎年開催されていて、それが日本のロックのようでもあったが、当時、中学生や高校生であった私たちにはあまり関係がなかった。ハウンド・ドッグとか山下久美子とか佐野元春とか、ロックっぽい感じの若手アーティストもいたが、ニュー・ミュージックに入れれば入れられなくもなかった。スターリンやアナーキーといったパンク・バンドの存在もあったが、お茶の間レベルで知られてはいなかった。それよりも、1980年代のはじめにはイエロー・マジック・オーケストラを中心とするテクノポップが社会現象化したし、その後は大滝詠一や山下達郎、松任谷由実などのシティ・ポップ、あるいは中島みゆきやオフコースなどのニュー・ミュージックの人気の方が高かった。
1980年代半ばにはラフィン・ノーズ、ウィラード、有頂天のインディーズ御三家などというのも若者の一部で話題になる一方、尾崎豊、渡辺美里、中村あゆみといったメッセージ性を歌詞に込め、サウンドがロックっぽくもあるアーティストたちが日本のロックとして見なされがちになる流れもあった。また、ローリング・ストーンズの様なタイプのロックをやるストリート・スライダーズなども人気があった。
この辺りのアーティストについて好き嫌いは別として、私はある程度分かっているつもりであった。そして、BOOWYが人気を集め、ものすごく売れるのだ。ここで、私はもう日本の主流のポップ・ミュージックが分からなくなった。私がそれまで考えていたロック的な音楽と、BOOWYとはほとんど関係がないように思えたのだが、これがものすごく売れて、日本の若者の間でロックを大きく広げたともいえる。
じつは「マリオネット」「わがままジュリエット」など大好きなのだが、それは日本の流行歌として好きなのであり、ロックとしてではないのである。しかし、ポップ・ミュージックとは基本的には若者ののものであるぐらいの常識は持ち合わせていたので、これはそろそろもうロックのリスナーとしての現役を引退なのではないかと思っただけである。あとは自分が好きなアーティストを追いかけていけばいいのだ。
1980年代後半にブルー・ハーツが登場し、見る見るうちに人気者になっていった。パフォーマンスを何かで観たのだが、鬼気迫るものがあった。歌詞も分かりやすいし、音楽もどちらかというと好みである。しかし当時、すでに20歳を超えていた私にとっては、ストレートでシンプルすぎたのである。そこにある強度は分かるし、ものすごい才能である。私が14歳でこのバンドに出会っていたとするならばもちろん夢中になるだろうし、洋楽を聴くことなど必要がなかったのかもしれない。しかし、もう20歳を超えていたのである。
ロックはすっかり市民権を得て、JUN SKY WALKER(S)なども人気が高かった。曲調やサウンドはパンク・ロックのようである。歌詞の内容は曲のタイトルがそうであるように、「全部そのままで」とか「ひとつ抱きしめて」とかそういうものであった。RCサクセションや佐野元春のような、知的で文学的でもある年上のアーティストの音楽を聴いてきた私にとっては、やはりシンプルでストレートすぎる。しかし、若者に受けているのならばそれで良い。分からないのならば何も言わないことである。自分がされて嫌なことはなるべくやらない。
パンク・ロックのような曲調やサウンドで、優しいことを歌うタイプの音楽はとても増えていた。パンク10周年もあり、パンクのファッション的な部分が流行りやすいムードもあった。しかし、それらの音楽はセックス・ピストルズやクラッシュをどう聴けばこうなるのだと思えるようなものが多かった。しかし、それはもう私がそのような音楽を聴くような年齢ではないからであり、それに対して不平不満を言うのはいかにもダサくてカッコ悪いと思っていた。
洋楽においてはヒップホップやアシッド・ハウスというような新しいタ
プのポップ・ミュージックが主流になってきていて、ロックやインディーはどこか古臭くも感じられはじめていた。近田春夫がPRESIDENT B.P.M.名義でヒップホップの12インチ・シングル「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」をリリースしたのは1986年だが、当時、日本語ラップが商売になるなどということはまったく信じられていなかった。次のシングル「NASU-KYURI」のカップリングには高木完と藤原ヒロシから成るTINNY PUNXによる「I Luv Got The Groove」が収録された。ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの1982年の全米No.1ヒット「アイ・ラヴ・ロックンロール」を大胆にサンプリングし、「ロックンロールはロックじゃねえ」と宣言する。フリッパーズ・ギターが「恋とマシンガン」のシングルをリリースした1990年5月5日、日本のヒップホップ・グループ、スチャダラパーがデビュー・アルバム「スチャダラ大作戦」をリリースした。プロデューサーは高木完である。「ビートパンク SUCKERS」は、そんなファッションパンクスを痛烈に批評した曲である。このアルバムの中には、当時の主流であったコンサバティヴな大学生に毒づいた「N.I.C.E. GUY」が収録されている。この曲のリミックスを後に藤原ヒロシが手がけ、シングルとしてリリースもしている。
アルバムの中に「ラップじゃ食えんよ ギャラ10円」という自虐的な歌詞(ライム)もあるが、当時の日本ではまだヒップホップはひじょうに珍しく、これが実際に商売になるとはまったく信じられていなかった。とはいえ、スチャダラパーに対しては業界からの期待も大きく、このアルバムにはいとうせいこうや小泉今日子もコメントを寄せている。このスチャダラパーとフリッパーズ・ギターを解散した小沢健二がコラボレートして、後に「渋谷系」のアンセムと呼ばれるJ-POPクラシック「今夜はブギーバック」をリリースするのは、ここからさらに4年後のことである。
「ビートパンクSUCKESにみんな夢中なのは何だかんだいっても今の主流だから」
「おふざけもなしにドブネズミたちと 歩いていこうよどこまでも やさしさロック IN 武道館でいまロック人口ついに数千万」
「愛して夢みて元気をだして いかしたやつらの詞はストレート フローチャート通りかビートパンクROCKER」
「ビートパンクSUCKERS」は、当時のバンド・ブームに対する私の気分をうまく言い表してくれているようで、痛快でもあった。
ロックの象徴的なバンドであるローリング・ストーンズは1973年に来日公演が予定されていたが、過去の大麻所持を理由に入国禁止となり、実現されなかった。ローリング・ストーンズの来日はもはや永遠に不可能なのではないかと思われていたのだが、ついに実現したのが1990年2月であり、「カメラ・トーク」がリリースされる約4ヶ月前のことである。また、やはり薬物の所持によって過去に中止されていたポール・マッカートニーの来日公演も、この年の3月にはじめて実現している。
おニャン子クラブの解散以降、日本のアイドル界では南野陽子、工藤静香、中山美穂、浅香唯などに人気があったような気がする。そんな中、ひじょうにユニークな存在として台頭してきたのが森高千里であった。アイドルのようなルックスを持ちながら自ら作詞を手がけ、その内容がユニークだと話題になっていた。そして、ミニスカートをはいてユーロビートにアレンジされた南沙織の1971年のヒット曲「17才」をカヴァーして、一気に注目を集めた。森高千里のことは「ミュージック・マガジン」などの辛口な音楽雑誌でも好意的に取り上げられていたが、当時の私はそのような状況も含め、わりと冷めた目で見ていた。
そんな森高千里が「カメラ・トーク」の12日前、1990年5月25日に10枚目のシングルとしてリリースし、オリコンで4位のヒットを記録したのが「臭いものにはフタをしろ!!」であり、やはり作詞は本人である。この曲には次のような歌詞がある。
「いいかロックンロールを知らなきゃ もぐりと言われるゼ オレは10回ストーンズ見に行ったゼ」
「そんな言い方平気でしてると おじさんと呼ぶわよ 私ロックはダメなの ストレートよ」
この曲が4位にランクインした1990年6月4日付のオリコン週間シングルランキングで1位だったのは、矢沢永吉の「PURE GOLD」である。1978年の「時間よ止まれ」以来、2作目の1位であった。作詞を歌謡曲畑の売野雅勇が手がけ、テレビドラマ「ホットドッグ」の主題歌に使われていた。アニメーションのプロモーションビデオも制作されていたはずである。当時、私が夜勤のアルバイトをしていたコンビニエンスストアでも、よくこの曲が流れていた。
「チャック・ベリーもエルビスも Once dreamed もしコイツに逢わなけりゃ Bad boy」
「身も心も奴に捧げたよ 哀れな生贄さ Rock’n roll」
「カメラ・トーク」がリリースされた当時の日本におけるロックのイメージというのは、おそらくこのようなものだったのだろう。
「ザ・ベストテン」は前の年の9月28日で終了していて、「夜のヒットスタジオ」もこの年の10月3日で終った。その翌月、11月21にはスーパーファミコンが発売され、イギリスでは翌日の22日にサッチャー首相が辞任している。
1990年5月5日にリリースされたフリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」がオリコンのシングルランキングに初登場したのは5月14日付で、24位であった。その週の1位は同じ日にリリースされたたま「さよなら人類」である。「三宅裕司のいかすバンド天国」でグランドイカ天キングに輝いた、ユニークな4人組バンドによるデビュー・シングルである。この年の年間4位となったこの曲は、いわゆるビートパンクとはまったく異なった音楽性を持つものであった。
ビートパンク的なものを全国に広めたとされている「三宅裕司のいかすバンド天国」には確かにそのようなバンドが多数出演していたが、審査員の投票によって決まるイカ天キングに輝いていたバンドには、ソウル・ミュージックやファンクからの影響が強いFLYING KIDS、宮尾すすむと日本の社長やアコースティックのBEGINをはじめ、ニュー・ウェイヴのイエロー太陽’S、サイバーニュウニュウなど、いわゆるビートパンクとは異なった音楽性を持つものが多かった。「恋とマシンガン」がリリースされた時点でのイカ天キングは、デビュー当時のフリッパーズ・ギターと同様に英語の歌詞で、海外の音楽から強い影響を受け、和光高校で結成されたLITTLE CREATURESであった。そして、「カメラ・
ーク」リリース時点でのイカ天キングは、シティ・ポップ的な音楽性を持つLANPAであった。
「恋とマシンガン」が初登場した5月14日付のランキングには「さよなら人類」の他にNORMA JEAN「GET A CHANCE!!」、BEGIN「恋しくて」、JITTERIN’JINN「プレゼント」といった「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演したバンドによる曲がランクインしている。当時、流行していたのが南米発のランバダというダンスだったが、この週のランキングではカオマ「ランバダ」が13位、石井明美によるカヴァーも17位にランクインしている。翌週の5月21日付において「恋とマシンガン」は19位にランクアップし、その週の1位は工藤静香「千流の雫」である。また、翌週の5月28日付では17位にアップ、1位は氷室京介「JEALOUSYを眠らせて」である。矢沢永吉「PURE GOLD」が1位になった6月4日付では20位にダウンするが、「JEALOUSYを眠らせて」が1位に返り咲いた6月11日付でもその順位をキープ、その間、ずっと5位以内に留まり続けていた「さよなら人類」が1ヶ月ぶりに1位に返り咲いた6月18日付では17位に再浮上している。この週、アルバムランキングでは「カメラ・トーク」が6位に初登場している。この週の1位は、マドンナの「アイム・ブレスレス」であった。出演していた映画「ディック・トレイシー」に関連したアルバムで、ハウス・ミュージックの影響を強く受け、世界的な大ヒットとなったシングル曲「ヴォーグ」を収録していた。2位は松田聖子がSEIKO名義で海外マーケット向けにリリースし、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのドニー・ウォールバーグとのデュエットで全米54位、カナダで2位などのヒットを記録した「ザ・ライト・コンビネイション」を収録した「Seiko」であった。杉山清貴「SPARKLE」、LINDBERG「LINDBERG Ⅲ」、小室哲哉「天と地と」の次にランクインしていたのが「カメラ・トーク」であった。
「カメラ・トーク」は翌週の6月25日付では21位と大きく順位を落としてしまうが、「恋とマシンガン」の方はシングルランキングで17位をキープしていた。この週の1位はB’zの「太陽のKomachi Angel」である。B’zにとって5枚目のシングルで、初の1位獲得曲であった。以来、現時点での最新シングルである「声明/Still Alive」まで、49曲ずっと1位を継続しているようだ。その翌週、7月2日付で「恋とマシンガン」は25位にダウンし、「太陽のKomachi Angel」にかわって1位になったのは、「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演していたJITTERIN’JINNの「にちようび」であった。
この年のオリコン年間シングルランキングで1位だったのは、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」である。1月7日から放送がはじまったさくらももこ原作のテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ曲である。国民的な人気アニメとして28年以上経った現在も放送されているこの番組のオープニングテーマ曲として、1996年6月から約2年間使われていたのがカヒミ・カリィ「ハミングがきこえる」であり、作曲・編曲はフリッパーズ・ギターを解散し、コーネリアスとしての活動をはじめて3年目の小山田圭吾であった。
B’zの1位と「ちびまる子ちゃん」が「カメラ・トーク」と同じ年にはじまり、それからずっと続いているということになる。
また、この年で終ったものとしては「夜のヒットスタジオ」や「ミユキ野球教室」、イギリスにおいてはサッチャー政権などがある。「ザ・ベストテン」や「オレたちひょうきん族」は、この前の年の秋で終っている。スーパーファミコンが発売されたのが、この年の秋であった。また、RCサクセションがメンバー2人の脱退などにより活動を休止したのもこの年であった。
ピチカート・ファイヴからはこの年、レーベル移籍と同時にヴォーカルの田島貴男が自身のバンド、オリジナル・ラヴに専念するために脱退し、後に「渋谷系」のアイコン的な存在になる元ポータブル・ロックの野宮真貴が加入する。フリッパーズ・ギターは翌年にアルバム「ヘッド博士の世界塔」をリリース後、先のツアーが予定されている状態のまま解散した。その後のソロ活動により、小沢健二は「渋谷系」の王子様としてポップアイコン化し、小山田圭吾はコーネリアスとして海外でも評価を高めていくことになる。
「ロッキング・オンJAPAN」は一時期、部数低迷ののために廃刊がほぼ決まっていたのだという。1994年、版型を小さくして路線を変えるという賭けに出たのだが、それ以前に小山田圭吾や小沢健二を表紙にした号が売れるということがあったらしく、このあたりを推していくことにしたようである。サイズが小さくなって最初の号の表紙はコーネリアスであった。それからオリジナル・ラヴやラヴ・タンバリンズといった「渋谷系」のアーティストをどんどん取り上げていったのだという。「渋谷系」と「ロッキング・オン」との親和性は低いかのような印象もあるが、当時、私の周りにいた「渋谷系」の音楽を聴いていた人たちの多くは、付き合っていた女性を含め、「ロッキング・オンJAPAN」の読者であった。「渋谷系」のシーンの中心にはいなかったし、周縁的な存在だったとは思うのだが、このような人たちまで巻き込んだからこそ「渋谷系」は意外にもしつこい影響力を持ち続けているのかもしれない。
「渋谷系」は非ロック的であり、それはビートパンクにやバンド・ブーム的なものに対してのオルタナティヴだったのかもしれない。
少し年下の人たちと話をしていると「電気グルーヴのオールナイトニッポン」の影響力に驚かされるのだが、それは私たちにおける「ビートたけしのオールナイトニッポン」のようなものなのかなと思ったり思わなかったりする。いずれにしても、電気グルーヴの存在によってテクノという音楽ジャンルが日本でもポピュラーになり、「渋谷系」が終った後にはMISIAやUAといったR&Bからの影響を強く受けたディーヴァたちが活躍し、それは宇多田ヒカルの大ブレイクをも準備したのかもしれない。その少し前にはそもそもロック・ヴォーカリストを求めるオーディションで落選したメンバーによって結成されたモーニング娘。によって、アイドルポップスが復活した。「渋谷系」の時代にヒットチャートを席巻していた小室哲哉による数々のヒット曲は、クラブ・ミュージックをカラオケでも歌えるようにアップデートしたようなものであった。「三宅裕司のいかすバンド天国」でグランドイカ天キングになったBLANKEY JET CITYやパブ・ロックをルーツに持つミッシェル・ガン・エレファントといったロック・バンドにも人気があったが、
ィジュアル系、パンク/ハードコアなどをも含め、もはやひじょうに多様化した日本のポップ・ミュージック界における1ジャンルという感じであった。
かつて、別に音楽をそれほど好きなわけではないのだが、女性にモテるためにバンドをはじめるという男性が多数存在した。現在、バンドマンはバーテンダー、美容師と共に「彼氏にしてはいけない3B」のうちの1つとされているらしい。

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学生のうちに知っておくべきモテるためにのこと

GSPO-国際警察特別機構には、異世界犯罪者集団ギャングラーに対抗できる戦力部隊がある。

彼らは「警察戦隊パトレンジャー」

パトレン1号:朝加圭一郎

パトレン2号:陽川咲也

パトレン3号:明神つかさ

今日も平和の為に、ギャングラーの戦闘員と戦う3人―

カントク「カァーット!駄目だよ、もっとピシっとしてくれなきゃ!」

・・・今日はヒルトップ管理官の命令で、映画の撮影をしているみたい。。

(撮影用の戦闘員はシャドーラインで見た気が。。)

(ジム「世間はルパンレンジャーの話題で持ちきりなんです!監督のたっての希望で、実際に活動している皆さんが適役だと・・・」

管理官「怪盗ばかり注目されると、立場がないカラねぇ。戦力部隊の活動をPRするベキじゃないかって。」)

演技に自信のない圭一郎、つかさはイマイチ乗り気がしないが、一人だけ・・・

咲也「戦力部隊のカッコよさをアピール出来るチャンスですよ!怪盗に負けないくらいかっこいい映画ができて、人気者になったら・・・モテますよ!」

つかさ「・・・お前はモテるために戦力部隊入りしたのか・・・?」

・本番

咲也は監督にダメ出しされてしまう・・・

(ブラインドの隙間から外を見る圭ちゃん)

監督「何だろう。君、何か足りないんだよなぁ・・・こう、色気っていうか・・・!」

咲也を怪しい光が包み、髪が伸びる・・・

咲也「ある・・・ない。・・・女の子になっちゃったぁー!?」

(ヒカル「何がないって?」)

・ギャングラー絡みと分かった以上、撮影は中止すべきなのだが・・・

監督「撮影は続行だ。面白いじゃないか。ギャングラーが怖くて映画なんか撮れるか!」

そして、ピンヒールでスカート姿の咲也が・・・

咲也「僕はこの通り大丈夫です。気にしないでください。いや・・・気にしないでく、だ、さ、い♪」

(改めて見るときめぇ。。)

・女になった咲也と、彼(女?)に壁ドンされて焦っている圭一郎には、撮影所に乗り込んできたルパンレンジャーも笑いをこらえずにはいられない・・・

案の定見つかってしまい、戦闘開始。

「怪盗が来たってことは・・・」

「ギャングラーも近くにいるってことか!?」

―その通り。もっと楽しくしてあげましょう!

ギャングラー、ピッチコックの光線を浴びてしまい・・・

圭一郎「ある・・・ない。」

つかさ「ない・・・ある!」

(もうめちゃくちゃや)

更にコレクションの力ですっ転ばされる・・・

「君たちはかっこいい映画より、コメディが向いてますよぉ?それでは、さよなら、さよなら・・・」

・咲也はまだ撮影を続けようとしている・・・

なぜ映画にこだわるのか?

「先輩たちのカッコよさを、世間にもっと広めたくて・・・

僕が訓練生のころ、先輩たちは僕のあこがれで、遠い存在でした。

いつか先輩たちみたいになりたかったけど、僕の成績は下から数えた方が早くて、理想と現実に押しつぶされそうでした。」

(咲也「もう・・・僕には無理だ!」

圭一郎「・・・本当にそう思っているのか?泣くってことは、まだ諦めてない証拠だろう?」

つかさ「私たちの使命は、悔し涙を流したその先にあるんだ。」)

「先輩たちの言葉を胸に、苦しい訓練も耐えられました。先輩たちに憧れていたからこそ、僕は戦力部隊に入れたんですよ!」

(実は2号になる予定の人がザミーゴに凍らされて・・・ってことだったり?)

・監督は台本、衣装を一新して撮影を続けようとしている・・・

圭一郎とつかさは彼を疑うが・・・

・ナレ「国際警察機構には、異世界犯罪者集団:ギャングラーに対抗できる戦力部隊がある。

それが彼らー警察戦隊パトレンジャーで・・・ある?」

パトレン1号:朝加圭子

パトレン2号:陽川咲美

パトレン3号:明神つかさ(そのまま)

だが、スタントマンらスタッフは全員、ポーダマンが化けた姿だった!?

そして監督は、戦闘を目の前にして興奮している・・・

彼がピッチコックだと、パトレンジャー、ルパンレンジャー両方から銃を向けられるが・・・

咲美「違います!ピッチコックは・・・あいつです!」

指差したのは、一人だけ残っていたカメラマン!?

「あら、バレちゃった?」

怪人が正体を現し、戦闘再開。

(無実の人に銃向けてたんか。。 見破る決め手が女の勘って。。監督も操られておかしくなってたとかじゃないんだな・・・)

・転ばせるコレクションの力を避けるため、ワイヤーアクションを披露するルパンレンジャー。

そしてコレクション(ゴローダーGT)を奪還した!

(芋羊羹が入ってると思ったらゴーオンジャーだった。。)

ルパンレンジャーが光線を避けたことでパトレンジャーも元通りに。

等身大戦のトドメはバイカーキャノン!

・ドグラニオ「ゴーシュ、映画の完成にもう一度チャンスを。」

デストラ「え?え?(ホントに楽しみになさってたんだ・・・)」

(今回唯一まともだったデストラさん)

・ロボ戦はルパンカイザーナイト(最近パトカイザー出撃せぇへんな。。)

シザーブレードがチェンジ光線を受けると、ハンマーに変形した!?

(意味不明)

「大どんでん返しを期待して・・・それでは次回をご期待ください!さよなら、さよなら・・・!」

ハンマーで弾き飛ばされ力尽きるピッチコック。

・スタッフは全員いなくなったはずだが、なぜか撮影はその後も続いた・・・

「完成した映画がこれですか・・・」

「WOW・・・ファンタスティック。」

それは、咲也以外の2人は全編通して棒読みという酷い出来のものだった・・・

―――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

過去の戦隊でも映画撮影回はあったけど、その中でも群を抜いてカオスだったな。。

子供が見る番組でやっていいんか。。

咲也の過去に触れたのは良かったけど。

(ルパレンは透真以外子供のころの回想があったけど、パトレンは訓練生時代のシーンが多いな。。)

3人が警察を目指そうとしたそもそものきっかけは何なんだろう。。

そこもいつか触れるのかな?

来週は青回。

モテるためにのなにからなにまでFANの人大集合♪

皆様お見合いやデートは突然やっくると思ってください。
お見合いデート予定が入ってから準備するんでなくもう婚活始めた時点で準備を徹底することが大事です。
美容室に行き良いヘアが決まったら巻き髪の練習をする。
お見合いが決まったからメイクレッスンでなくメイクレッスン受けてお見合いやデートで200%でいけるよう、メイクレッスン受けたあとつけまつげの練習をしたり眉を書く練習をしたり、できる準備は沢山あります。
あとお会いしたい人医師なら医師やりがい、医師オンコールなど医師について知る、お見合いや成立前にできること沢山あります。
綺麗にメイクしてデート服やお見合いの服を事前に準備しとくことなどやることは沢山あります。
当会はデート服のコンサルがあるので必ずお洋服を着た写真を送ってもらいチェックするサービスは何点でも行ってるのでやるきになればモテるためにやる準備は沢山あります。
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今日はネタになるような出来事がありませんでした。さて、なので無理矢理話の話題を作ります。

婚活ブログなどを書いてきましたが…

確かに結婚は心配。本屋さんでモテる女性について何か書いてないのかなーとか思って調べてみても時間なくて見つけられなかったえーん
そんな1日です。


2枚ともインターネットからのやつ🔼



既婚者の方にぜひ聞いて見たい。

学生の彼氏持ちさんにも是非聞いてみたい。


馴れ初め聞いたらちょっと参考になるかも?

なんて爆笑
今日は本屋さんに行きました!
今日の本の収穫。
SPI←就活に向けての本買っただけ。
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ちゃんと見てなかったけど、高校生用のSPIもあるんだね。高校生が就職するときの参考書もSPIなのか…
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ちゃんと自分のやつ確認したら普通に新卒って書いてあったからどっちもなのかな?
うん、ちゃんと大学生用選んでたみたい。
大学生協って書いてあったよー。笑い泣き
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☝️

そうそう、これこれ!!
で、肝心な婚活上手くいきそうな本とかは見つからなかったえーん
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うわーん!!

モテたいーーーー!!!!!

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心理学学ぶのも1つの方法かなぁ。
女子トークブログっていうタイトルなのに女子らしい話あまりしてない😜

仕事も恋も上手くいきたいですシャンパンロゼワイン白ワイン赤ワイン
今は大学生活も恋もっていうべきか…!?
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モテるために 関連ツイート

RT @saya_CRO: 今までに何人と付き合ったとか経験人数を自慢げに語る人がいるけど、一人を長い間愛す事の方がよっぽど難しくてよっぽど誇れる事だと思う。
どんだけモテる人よりも一人の人間を幸せにするために一生懸命の人の方が何十倍もカッコいいと思う。
頼むから 俺っちを有名人にしてくれだしんよ〜!すべてはモテるため https://t.co/gz9TGWiFhd
RT @eri82tom: まあ日本の男はレディーファースト=女性にモテるためにやる、と思ってるから女性もその下心を見つけて嫌になるんだろうなとは思う。
ワイがモテるためにしたこと

・服装に気を使う
・良質なものを身に着ける
・外出するときは髪型を整える
・眼鏡をやめてコンタクトにする
・身体を鍛える

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