搾取 生活と文化を結ぶ

搾取 生活と文化を結ぶ

搾取専門ショップ

第485話/ウシジマくん71

丑嶋はついに滑皮と対決することを決意した。しかしそのためには金が要る。現状手に入る大金はどうやらもうもといたホテルの金庫にある1000万しかないようである。ホテルや部屋は割れているし、丑嶋は知らないが、隣の部屋にはあやしい外国人が待機している。もどるのは危険だし、そのことは丑嶋もわかっているが、どうしても金は必要だ。こういうわけで部屋にもどってきた彼を待っていたのは、兎の死体なのであった。丑嶋は作中はじめて涙を流してみせるのである。

目の下にくまをつくった丑嶋が、金を確認しつつ高田に電話する。兎は、タオル的なものにくるまれている。高田は電話に出ない。どうやらあの兎は丑嶋が飼っていたものの一羽だったようだ。となれば、犯人は高田の家に踏み込んでいる。さらわれた可能性は高い。

次に丑嶋は柄崎に電話する。高田のところにいまから行くというはなしだ。前回からいっていたが、喉がカラカラの丑嶋が冷蔵庫から水をとりだす。セロハンテープが貼ってあるのがみえるが、気づかれたら貼りなおされておしまいだろう。丑嶋は水を飲み込む前になにかピンときて、ボトルに穴が開けられたあとを発見するのだ。兎が死んでいたじてんで部屋に侵入者があったことは明らかなわけだが、少なくともこれで相手がただのおどしをする人間ではないことはわかった。丑嶋は銃をかまえて待機、そのころ、例の外国人ふたりが、清掃用具みたいなののワゴンを押しながら部屋に入ってくる。映画でよくやってることだが、殺すなり気絶させるなりしてから、ここに詰めて運ぶ気だったのだろう。しかし部屋に丑嶋はいない。彼らが踏み込んだのは2404号室だ。しかし丑嶋は2405号室にいるのである。のぞき穴から廊下を見て、丑嶋はここではじめて外国人たちの存在を知る。外国人たちはくやしそうだ。

柄崎と合流して、丑嶋が状況を説明する。丑嶋は用心深く部屋をふたつとっていたようだ。兎を放置した部屋と外国人が踏み込んだ部屋がちがう、ということはありえないので、要するに丑嶋は普段2404号室に寝泊りしていたのだ。外国人たちは逆隣の2403号室にいたのだろう。しかし丑嶋は、相手の明らかな殺意をペットボトルを経由して感じ取り、あのときとなりの部屋に移ったのである。そうして、ドアののぞき窓から、となりの部屋に踏み込む外国人を確認したのだ。

兎がさらわれて、しかもそれをああいうしかたで使っているのだから、丑嶋が高田の家に行くことも相手、というか滑皮は想定しているだろう。見張りは必ずいる。いつものあの目立つ車で行くわけにはいかない。だからふたりはタクシーでまず偵察することにする。

高田の家では、さすがに入口に目立つようにして見張りはいないが、怪しい車がいくつか見つかった。ふたりはマンションの裏側にタクシーを待機させ、侵入の計画を練る。部屋には人影がある。たぶん敵だろう。柄崎は部屋のベルを鳴らし、相手の注意がドアに向いたところでベランダから窓を破って丑嶋が突撃するという作戦だ。

が、そこで高田から連絡がある。ふたりはいつもの車に乗り換えて、たぶんかなり離れたところまで移動し、ついに高田と合流するのだった。高田は、キャップをかぶって顔を隠している。高田も泣くし柄崎も泣く。いやいや、ほんとうによかったよ。

無事なのは高田だけではなく、ほかの兎たちもだ。ふたつのケージにみっちり兎が詰まっている。高田は、たぶん敵が家にやってきたところで、すきをみて兎を詰め込んで逃げてきたのだ。スマホの電池がなくて連絡がとれなかったが、たぶんこのあたりまで逃げてきて、コンビニかなにかでどうにか充電して、こうして連絡をとってきたのである。アウトローとはいえ身ひとつで逃げてくるのはためらうものだし、たぶん、カタギが防災用の非常持ち出し袋をチェックするみたいに、いつでも逃げれるようにこころがけてきたのだろう。充電だけはタイミングもあってはずしたのだ。さすがカウカウ社員。とはいえ、高田はこれ、こんだけでかいケージを両手にひとつずつもって逃げたってことか・・・。

しかし、あんなちっこい動物をケージに詰め込むのもたいへんなことだ。ひとりひとり別々のケージに入ってたりしたらもうあけたりしめたりの作業だけですごい時間かかりそう。高田は一羽だけ置いてきてしまった、それが、ホテルのあの子なのである。しばらく暮らしてきて高田もそうとう情がわいていることだろう、泣きながら謝るのを、丑嶋が制す
る。悪いのは高田ではない、ビビって滑皮の言いなりになっていたじぶんのせいだと。警告なんかのために兎をころして精神的にいたぶるのが滑皮のやりかたなのだ。なんと、丑嶋は、じぶんがビビっていたことを、部下の前で認めたのである。

初期シシック崩壊直前の鉄也をおもわせる感じのくま、なにかを悟ったような顔の丑嶋は、弱みを捨てないと滑皮に勝てないという。なんのことかというと、滑皮にこのようなおどしの道具としてもてあそばれるくらいなら、じぶんで兎を始末すると、このようにいうのだった。

つづく。

追い詰められすぎて疲れ果てている丑嶋の表情が実に痛々しい。今回の高田への「違うよ」からのセリフも、あれは丑嶋社長としてのセリフではない。丑嶋社長は「違うよ」なんて言葉遣いはしなかったはずだ。ふつうに、年は高田のほうがちょっと上らしいけど、同世代の、仕事上関与している相手に対する、ナチュラルな返答なのである。

兎をみずから殺すというのは、かなり衝撃的なセリフではあるが、疲れ果てた闇金ウシジマくんが、合理的な発想のさきにたどりついたといわれたら、そうなのかもしれない、という程度には合理的である。要は、これをやられるとちからが弱まるというぶぶんがじぶんにあって、滑皮はそういうところ見逃さない相手であるから、これを倒すには、そのぶぶんを切除するほかないのだと、こういうはなしなのだ。

しかし、丑嶋が自覚しているほど兎という存在は恣意的なものではないだろう。たとえばそれが恋人とかだったら、まだできないこともない。『ヒート』という映画では、アウトロー集団のリーダーであるロバート・デニーロが、弟分であるヴァル・キルマーに、しきりに「なにももたないこと」をすすめていた。ヴァル・キルマーはアシュレイ・ジャッドが演じる奥さんに依存していて、彼女なしでは生きていけない。デニーロもそれを汲みはするが、本音としては、それはよくないと考えている。いつでも、次の瞬間には逃げ出されるようになっていなくてはならないからだ。だから、デニーロの家はいつまでたっても引っ越したときのままで、生活感がない。そんなデニーロもついに不可避的にある女性に安らぎを見出してしまう。彼はアル・パチーノ演じる敏腕刑事に追い詰められていて、ついにパチーノが彼を見つけたとき、デニーロはたしかにことばどおり、彼女を捨てて逃げることにはなる。が、おそらくその際の一瞬の躊躇が命とりとなってしまうのである。

なにがいいたいかというと、恋人と離れることは、むろん苦痛ではあるだろうが、命にかかわるかというと、そういうことはないわけである。しかし丑嶋にとってはそうではない。兎は、彼がウシジマくんとなって生きていく、その内側からありようを縁取る聖域なのである。

このことにかんしては前回トーテミズとトラウマを用いて論じた。人類がみずからに課す禁制、なになにを“してはいけない”という口調で語られるタブーは、トーテムの存在によって決定する。トーテムにどのようなものが選ばれるかは地域によるようで、なじみ深い動物だったり、あるいは恐怖の対象だったりするが、ともあれ、古い部族出身の人類は、それをじぶんたちのぞくする氏族の原点、祖霊のようなものと考える。このトーテムが、禁制を呼び込む。たとえばインセストタブー、近親相姦の禁止である。これは、トーテムによって秩序づけられた「氏族」という区分が脳内に生じてこなければ出てこない発想なのである。

タブーにも程度の大小はある。今回このことを思いついたのは、ウシジマくんの世界で兎はたしかに聖域にちがいない、しかし、それはなにかこう、攻撃してはいけない、守られるべきものというより、触れてはいけないもの、という感じがしたからである。もちろん、丑嶋が兎を飼っており、しかもすごく大切にしていることは柄崎たちも知ってはいたのだが、それがどの程度のかわいがりだったかは、カウカウのメンバーの誰も知らなかったはずである。高田なんかは勘がいいからいろいろ気づいているかもしれないが、なんというか、丑嶋にとって恥部というか、まさしくタブー、触れてはならないことどもとしてあつかわれているように感じられるのである。

こうしたタブーは人類最古の不文法典といわれる。憲法や法律のように文章にはなっていないが、共有された認識として、すべての「きまりごと」の前提になっている制度なのである。そして、そのうえ
築かれる法は、ある種タブーを自明のものとしてあつかう。法は、ひとを殺してはいけない、というのだが、その根拠については明かされない。そういうものだからである。そして、なぜわたしたちがそうとらえうるのかというと、それ以前の不文法典としてタブーが、人類史的に記憶されているからなのだ。制度以前の語法でタブーを分析することはできない。しかし制度以後の語法で分析を開始すると、順序が転倒することになる。かくしてタブーは触れることのできないものとなる。

そしてこれがトラウマと同じ構造である、というのが前回のはなしだ。これは完全にぼくのおもいつきなので、フロイトだとかレヴィ=ストロースだとかがどこかで論じている可能性もあるが、とりあえずは素人のそういうものとして読んでもらいたい。

洗脳くん以来たびたび持ち出してきた理屈なので、もはや説明は不要かもしれないが、短く表現すれば、トラウマとは、ドーナツの穴のことである。トラウマ的記憶を、わたしたちは思い出したくない。だから抑圧する。そのとき、どうやっても思い出すことがないように、ひとの思考法は再構築される。そのことを思い出さなくて済むような思考法、言語運用の方法が編み出される。それがドーナツ本体である。したがって、不思議なはなしだが、わたしたちはトラウマによって、トラウマを抑圧した現行の理性を確立しているのである。これがタブーに置き換えられるのではないか、というはなしだ。たとえば近親相姦や殺人、食人といったことは、「禁止されているからやらない」というより、そもそも、想起することすらはばかられるような事象としてわたしたちには刻まれているだろう。考えることすらはばかられる、抑圧された、太古の欲望、それがタブーによって規制されているものなのである。つまり、わたしたち人類は、殺人衝動や食人衝動など、太古にはあったかもしれない強い欲望をタブーを経由して抑圧することで、現行の理性的社会を成り立たせているのである。

こういうものとして兎をとらえたとき、他者には触れることのできない、というか、作品、あるいは作者ですらちょっと描写がはばかられるようなものとしてあつかわれる兎は、たしかに、抑圧されたある種のタブーといっていいだろう。兎について、アウトロー的文法で言及することすら、どこかためらってしまう、そういう雰囲気がここにはあるのだ。

この理屈を通すと、次のようになる。スタート地点はまだわからない。それが、丑嶋という人格か、それともウシジマくんという裏社会の番人、どちらを指すのかといわれると、まだよくわからないのだが、ともかく丑嶋個人は、この兎を聖域とすることで、これを回避するために、なるべくこの場所に接近しない方法を編み出そうとして、現在のありようを確立したのである。彼が兎を殺そうとすることが危険なのはこのためだ。兎を殺して弱みをなくすことがウシジマくんとして合理的であったとしても、そもそもその合理性を裏付けていたのは、兎を聖域として回避することで構築された彼のなかの法なのである。弱みがあるから勝てない→だったら弱みをなくしてしまえ、という、いつでも通用した冷徹な合理性は、兎によって成り立っていたものなのだ。

だから、この合理的判断は、実を言うと柄崎親子によって乗り越えられたかに見えたあの自殺とほぼ同型である。あの自殺未遂も、みずから選び取る人生をまっとうするためにたどりついた極論だった。自殺して、みずから死を選んでしまえば、彼の「みずから選び取る人生」は完成するのである。兎を、しかもみずから殺すということは、見たように、彼自身の崩壊につながる行為であるから、実のところ自殺と変わりないのだ。いちおう、自殺それじたいは乗り越えて、滑皮殺す、というところまで生が延びはしたが、あの問題、どうすれば選び取り続けることができるか、ということは、保留されただけだったのである。

では、なぜ兎が聖域になったのか。これについては、母の不在という視点で眺めるとよいだろう。ウシジマ界のお母さんといえば柄崎から戌亥の母親である。だが、もっと中心にいる丑嶋や滑皮の人生では、母の影が非常にうすい。ぼくが次にいうことがわかるかもしれないが、まるでなるべく語らないようにしているかのようなのである。丑嶋にとって兎は母親の変身した姿だ。テレクラくんとか逃亡者くんとかでそのあたり描写されたこともあったが、原則的に母親は最後までとっておかれるべき清い場所として描かれることが多い。丑嶋や滑皮にとっては語ることさえそうなっているのだ。

しかし、これは問題の言い換えで、ではなぜ母親は聖域なのか、ということになる。それはやはり、ウシジマくんが父性との対決を描く漫画だからだ、といってしまったら、単純すぎるだろうか。というのは、当初から丑嶋は、奪う奪われるの状況を乗り越えることを目指してきたからだ。極端に図式化してしまえば、丑嶋にとって、また作品のあるぶぶんにとって、父親は搾取するものである。そのいっぽう、母親は包容力と、存在を認めるありようの表象である。たとえば逃亡者くんののどかがその役割を担っていた。奪うとか奪われるとか、そういう物騒なはなしではなく、ただ、理由もなくそこにいていいといってくれるありよう、それが母親的なものに表象されているのだ。考えてみれば丑嶋が兎を大切にするのも、筋道が通っているのである。ヤクザを厭い、それでいて奪う/奪われるを乗り越えようとする彼は、母親的なものに担保されるようにしてウシジマ
んを持続させてきたにちがいないのだ。

もし丑嶋が兎を殺してしまったら、彼は、打倒滑皮の気持ちを持続させることがかなり難しくなるかもしれない。とりあえずいまははやまったまねはしないほうがいいとおもわれるが、誰が止めるかな・・・。柄崎は兎にはノータッチだし、ここはようやく合流した高田に期待するしかない。

638円
Amazon

596円
Amazon

Amazon

搾取の今だけのセール情報、さらにネット限定商品等のトレンドアイテム勢ぞろいです

第485話/ウシジマくん71

丑嶋はついに滑皮と対決することを決意した。しかしそのためには金が要る。現状手に入る大金はどうやらもうもといたホテルの金庫にある1000万しかないようである。ホテルや部屋は割れているし、丑嶋は知らないが、隣の部屋にはあやしい外国人が待機している。もどるのは危険だし、そのことは丑嶋もわかっているが、どうしても金は必要だ。こういうわけで部屋にもどってきた彼を待っていたのは、兎の死体なのであった。丑嶋は作中はじめて涙を流してみせるのである。

目の下にくまをつくった丑嶋が、金を確認しつつ高田に電話する。兎は、タオル的なものにくるまれている。高田は電話に出ない。どうやらあの兎は丑嶋が飼っていたものの一羽だったようだ。となれば、犯人は高田の家に踏み込んでいる。さらわれた可能性は高い。

次に丑嶋は柄崎に電話する。高田のところにいまから行くというはなしだ。前回からいっていたが、喉がカラカラの丑嶋が冷蔵庫から水をとりだす。セロハンテープが貼ってあるのがみえるが、気づかれたら貼りなおされておしまいだろう。丑嶋は水を飲み込む前になにかピンときて、ボトルに穴が開けられたあとを発見するのだ。兎が死んでいたじてんで部屋に侵入者があったことは明らかなわけだが、少なくともこれで相手がただのおどしをする人間ではないことはわかった。丑嶋は銃をかまえて待機、そのころ、例の外国人ふたりが、清掃用具みたいなののワゴンを押しながら部屋に入ってくる。映画でよくやってることだが、殺すなり気絶させるなりしてから、ここに詰めて運ぶ気だったのだろう。しかし部屋に丑嶋はいない。彼らが踏み込んだのは2404号室だ。しかし丑嶋は2405号室にいるのである。のぞき穴から廊下を見て、丑嶋はここではじめて外国人たちの存在を知る。外国人たちはくやしそうだ。

柄崎と合流して、丑嶋が状況を説明する。丑嶋は用心深く部屋をふたつとっていたようだ。兎を放置した部屋と外国人が踏み込んだ部屋がちがう、ということはありえないので、要するに丑嶋は普段2404号室に寝泊りしていたのだ。外国人たちは逆隣の2403号室にいたのだろう。しかし丑嶋は、相手の明らかな殺意をペットボトルを経由して感じ取り、あのときとなりの部屋に移ったのである。そうして、ドアののぞき窓から、となりの部屋に踏み込む外国人を確認したのだ。

兎がさらわれて、しかもそれをああいうしかたで使っているのだから、丑嶋が高田の家に行くことも相手、というか滑皮は想定しているだろう。見張りは必ずいる。いつものあの目立つ車で行くわけにはいかない。だからふたりはタクシーでまず偵察することにする。

高田の家では、さすがに入口に目立つようにして見張りはいないが、怪しい車がいくつか見つかった。ふたりはマンションの裏側にタクシーを待機させ、侵入の計画を練る。部屋には人影がある。たぶん敵だろう。柄崎は部屋のベルを鳴らし、相手の注意がドアに向いたところでベランダから窓を破って丑嶋が突撃するという作戦だ。

が、そこで高田から連絡がある。ふたりはいつもの車に乗り換えて、たぶんかなり離れたところまで移動し、ついに高田と合流するのだった。高田は、キャップをかぶって顔を隠している。高田も泣くし柄崎も泣く。いやいや、ほんとうによかったよ。

無事なのは高田だけではなく、ほかの兎たちもだ。ふたつのケージにみっちり兎が詰まっている。高田は、たぶん敵が家にやってきたところで、すきをみて兎を詰め込んで逃げてきたのだ。スマホの電池がなくて連絡がとれなかったが、たぶんこのあたりまで逃げてきて、コンビニかなにかでどうにか充電して、こうして連絡をとってきたのである。アウトローとはいえ身ひとつで逃げてくるのはためらうものだし、たぶん、カタギが防災用の非常持ち出し袋をチェックするみたいに、いつでも逃げれるようにこころがけてきたのだろう。充電だけはタイミングもあってはずしたのだ。さすがカウカウ社員。とはいえ、高田はこれ、こんだけでかいケージを両手にひとつずつもって逃げたってことか・・・。

しかし、あんなちっこい動物をケージに詰め込むのもたいへんなことだ。ひとりひとり別々のケージに入ってたりしたらもうあけたりしめたりの作業だけですごい時間かかりそう。高田は一羽だけ置いてきてしまった、それが、ホテルのあの子なのである。しばらく暮らしてきて高田もそうとう情がわいていることだろう、泣きながら謝るのを、丑嶋が制す
る。悪いのは高田ではない、ビビって滑皮の言いなりになっていたじぶんのせいだと。警告なんかのために兎をころして精神的にいたぶるのが滑皮のやりかたなのだ。なんと、丑嶋は、じぶんがビビっていたことを、部下の前で認めたのである。

初期シシック崩壊直前の鉄也をおもわせる感じのくま、なにかを悟ったような顔の丑嶋は、弱みを捨てないと滑皮に勝てないという。なんのことかというと、滑皮にこのようなおどしの道具としてもてあそばれるくらいなら、じぶんで兎を始末すると、このようにいうのだった。

つづく。

追い詰められすぎて疲れ果てている丑嶋の表情が実に痛々しい。今回の高田への「違うよ」からのセリフも、あれは丑嶋社長としてのセリフではない。丑嶋社長は「違うよ」なんて言葉遣いはしなかったはずだ。ふつうに、年は高田のほうがちょっと上らしいけど、同世代の、仕事上関与している相手に対する、ナチュラルな返答なのである。

兎をみずから殺すというのは、かなり衝撃的なセリフではあるが、疲れ果てた闇金ウシジマくんが、合理的な発想のさきにたどりついたといわれたら、そうなのかもしれない、という程度には合理的である。要は、これをやられるとちからが弱まるというぶぶんがじぶんにあって、滑皮はそういうところ見逃さない相手であるから、これを倒すには、そのぶぶんを切除するほかないのだと、こういうはなしなのだ。

しかし、丑嶋が自覚しているほど兎という存在は恣意的なものではないだろう。たとえばそれが恋人とかだったら、まだできないこともない。『ヒート』という映画では、アウトロー集団のリーダーであるロバート・デニーロが、弟分であるヴァル・キルマーに、しきりに「なにももたないこと」をすすめていた。ヴァル・キルマーはアシュレイ・ジャッドが演じる奥さんに依存していて、彼女なしでは生きていけない。デニーロもそれを汲みはするが、本音としては、それはよくないと考えている。いつでも、次の瞬間には逃げ出されるようになっていなくてはならないからだ。だから、デニーロの家はいつまでたっても引っ越したときのままで、生活感がない。そんなデニーロもついに不可避的にある女性に安らぎを見出してしまう。彼はアル・パチーノ演じる敏腕刑事に追い詰められていて、ついにパチーノが彼を見つけたとき、デニーロはたしかにことばどおり、彼女を捨てて逃げることにはなる。が、おそらくその際の一瞬の躊躇が命とりとなってしまうのである。

なにがいいたいかというと、恋人と離れることは、むろん苦痛ではあるだろうが、命にかかわるかというと、そういうことはないわけである。しかし丑嶋にとってはそうではない。兎は、彼がウシジマくんとなって生きていく、その内側からありようを縁取る聖域なのである。

このことにかんしては前回トーテミズとトラウマを用いて論じた。人類がみずからに課す禁制、なになにを“してはいけない”という口調で語られるタブーは、トーテムの存在によって決定する。トーテムにどのようなものが選ばれるかは地域によるようで、なじみ深い動物だったり、あるいは恐怖の対象だったりするが、ともあれ、古い部族出身の人類は、それをじぶんたちのぞくする氏族の原点、祖霊のようなものと考える。このトーテムが、禁制を呼び込む。たとえばインセストタブー、近親相姦の禁止である。これは、トーテムによって秩序づけられた「氏族」という区分が脳内に生じてこなければ出てこない発想なのである。

タブーにも程度の大小はある。今回このことを思いついたのは、ウシジマくんの世界で兎はたしかに聖域にちがいない、しかし、それはなにかこう、攻撃してはいけない、守られるべきものというより、触れてはいけないもの、という感じがしたからである。もちろん、丑嶋が兎を飼っており、しかもすごく大切にしていることは柄崎たちも知ってはいたのだが、それがどの程度のかわいがりだったかは、カウカウのメンバーの誰も知らなかったはずである。高田なんかは勘がいいからいろいろ気づいているかもしれないが、なんというか、丑嶋にとって恥部というか、まさしくタブー、触れてはならないことどもとしてあつかわれているように感じられるのである。

こうしたタブーは人類最古の不文法典といわれる。憲法や法律のように文章にはなっていないが、共有された認識として、すべての「きまりごと」の前提になっている制度なのである。そして、そのうえ
築かれる法は、ある種タブーを自明のものとしてあつかう。法は、ひとを殺してはいけない、というのだが、その根拠については明かされない。そういうものだからである。そして、なぜわたしたちがそうとらえうるのかというと、それ以前の不文法典としてタブーが、人類史的に記憶されているからなのだ。制度以前の語法でタブーを分析することはできない。しかし制度以後の語法で分析を開始すると、順序が転倒することになる。かくしてタブーは触れることのできないものとなる。

そしてこれがトラウマと同じ構造である、というのが前回のはなしだ。これは完全にぼくのおもいつきなので、フロイトだとかレヴィ=ストロースだとかがどこかで論じている可能性もあるが、とりあえずは素人のそういうものとして読んでもらいたい。

洗脳くん以来たびたび持ち出してきた理屈なので、もはや説明は不要かもしれないが、短く表現すれば、トラウマとは、ドーナツの穴のことである。トラウマ的記憶を、わたしたちは思い出したくない。だから抑圧する。そのとき、どうやっても思い出すことがないように、ひとの思考法は再構築される。そのことを思い出さなくて済むような思考法、言語運用の方法が編み出される。それがドーナツ本体である。したがって、不思議なはなしだが、わたしたちはトラウマによって、トラウマを抑圧した現行の理性を確立しているのである。これがタブーに置き換えられるのではないか、というはなしだ。たとえば近親相姦や殺人、食人といったことは、「禁止されているからやらない」というより、そもそも、想起することすらはばかられるような事象としてわたしたちには刻まれているだろう。考えることすらはばかられる、抑圧された、太古の欲望、それがタブーによって規制されているものなのである。つまり、わたしたち人類は、殺人衝動や食人衝動など、太古にはあったかもしれない強い欲望をタブーを経由して抑圧することで、現行の理性的社会を成り立たせているのである。

こういうものとして兎をとらえたとき、他者には触れることのできない、というか、作品、あるいは作者ですらちょっと描写がはばかられるようなものとしてあつかわれる兎は、たしかに、抑圧されたある種のタブーといっていいだろう。兎について、アウトロー的文法で言及することすら、どこかためらってしまう、そういう雰囲気がここにはあるのだ。

この理屈を通すと、次のようになる。スタート地点はまだわからない。それが、丑嶋という人格か、それともウシジマくんという裏社会の番人、どちらを指すのかといわれると、まだよくわからないのだが、ともかく丑嶋個人は、この兎を聖域とすることで、これを回避するために、なるべくこの場所に接近しない方法を編み出そうとして、現在のありようを確立したのである。彼が兎を殺そうとすることが危険なのはこのためだ。兎を殺して弱みをなくすことがウシジマくんとして合理的であったとしても、そもそもその合理性を裏付けていたのは、兎を聖域として回避することで構築された彼のなかの法なのである。弱みがあるから勝てない→だったら弱みをなくしてしまえ、という、いつでも通用した冷徹な合理性は、兎によって成り立っていたものなのだ。

だから、この合理的判断は、実を言うと柄崎親子によって乗り越えられたかに見えたあの自殺とほぼ同型である。あの自殺未遂も、みずから選び取る人生をまっとうするためにたどりついた極論だった。自殺して、みずから死を選んでしまえば、彼の「みずから選び取る人生」は完成するのである。兎を、しかもみずから殺すということは、見たように、彼自身の崩壊につながる行為であるから、実のところ自殺と変わりないのだ。いちおう、自殺それじたいは乗り越えて、滑皮殺す、というところまで生が延びはしたが、あの問題、どうすれば選び取り続けることができるか、ということは、保留されただけだったのである。

では、なぜ兎が聖域になったのか。これについては、母の不在という視点で眺めるとよいだろう。ウシジマ界のお母さんといえば柄崎から戌亥の母親である。だが、もっと中心にいる丑嶋や滑皮の人生では、母の影が非常にうすい。ぼくが次にいうことがわかるかもしれないが、まるでなるべく語らないようにしているかのようなのである。丑嶋にとって兎は母親の変身した姿だ。テレクラくんとか逃亡者くんとかでそのあたり描写されたこともあったが、原則的に母親は最後までとっておかれるべき清い場所として描かれることが多い。丑嶋や滑皮にとっては語ることさえそうなっているのだ。

しかし、これは問題の言い換えで、ではなぜ母親は聖域なのか、ということになる。それはやはり、ウシジマくんが父性との対決を描く漫画だからだ、といってしまったら、単純すぎるだろうか。というのは、当初から丑嶋は、奪う奪われるの状況を乗り越えることを目指してきたからだ。極端に図式化してしまえば、丑嶋にとって、また作品のあるぶぶんにとって、父親は搾取するものである。そのいっぽう、母親は包容力と、存在を認めるありようの表象である。たとえば逃亡者くんののどかがその役割を担っていた。奪うとか奪われるとか、そういう物騒なはなしではなく、ただ、理由もなくそこにいていいといってくれるありよう、それが母親的なものに表象されているのだ。考えてみれば丑嶋が兎を大切にするのも、筋道が通っているのである。ヤクザを厭い、それでいて奪う/奪われるを乗り越えようとする彼は、母親的なものに担保されるようにしてウシジマ
んを持続させてきたにちがいないのだ。

もし丑嶋が兎を殺してしまったら、彼は、打倒滑皮の気持ちを持続させることがかなり難しくなるかもしれない。とりあえずいまははやまったまねはしないほうがいいとおもわれるが、誰が止めるかな・・・。柄崎は兎にはノータッチだし、ここはようやく合流した高田に期待するしかない。

638円
Amazon

596円
Amazon

Amazon

新世紀搾取ゲリオン

周りに婚活をしている話をすると、

「婚活はお金がかかりそうだね~」と言われることがあります。

婚活にどれだけお金がかかるのか・・・今まであまり考えたことがなかったけど、

今までどのくらいかけてきたのか、振り返ってみたいと思います。

ダイヤオレンジ結婚相談所

私が37歳で入会した結婚相談所は、入会金+初期費用で約16万円、月会費2万円、1回のお見合い料5,000円、婚活パーティー参加費3,000~1万円。

月会費以外に、活動するごとにお金がかかってくるところでした。

希望する相手とは全くお見合いが成立しないし、このまま続けてもお金を搾取されるだけ…と悟り、わずか2か月で退会。我ながら早く見切りをつけてよかったです。でも、たった2か月の活動で20万円以上かかりました・・・チーン

40歳になったのを機に、再び結婚相談所に入りましたが、過去の失敗から、今回は何社かを比較検討しました。特に重視したのは活動費用です。

・・・コースがソロサポートかチームサポートかによって料金が異なってきます。登録料3万円、初期費用(ソロ)5万円、(チーム)95,000円、月会費(ソロ)14,000円、(チーム)16,000円、成婚料5万円

・・・登録料9,800円、月会費12,000円 成婚料なし

※結婚相談所の費用は本当にピンキリ。費用が高くても、納得いく活動ができていればいいけど、お見合いが全然成立しないのに、ダラダラとお金を払い続けているだけなら、結婚相談所を見直したほうがいいと思います。

ダイヤオレンジネット婚活

ネット婚活は無料もしくは低料金で始められるので、婚活ビギナーにおすすめです。既婚者が紛れこんでいる可能性はあるけど、結婚相談所で紹介される人よりずっと魅力的な男性と出会えるし、コストもかからないのが魅力です。

女性は無料で使える↓

有料サービス↓

有料といっても、月額は1回飲みに行くくらいの金額。男女とも有料の婚活サイトのほうが、本気度が高い気はします。

ダイヤオレンジ婚活パーティー

婚活パーティーも女性は安く参加できます。

【オトコン】 ・・・女性参加費は1,000~3,000円程度。直前に申し込むと特割で無料~500円で参加できることも!

・・・女性参加費は1,000~3,000円程度。

ダイヤオレンジ合コン

1回の飲み代は、お相手によります。

アラフォーになってから、男性側がご馳走してくれるケースは減ってきました。

3000円くらいお支払いするケースが多いです。最高でも5,000円くらい。

婚活はお金がかかるイメージがあるけど、

女性の場合、費用の高い結婚相談所に入らない限り、そこまでお金はかからないと思います。

私はお見合いの度に服を新調したり、デート前に必ず美容院に行くわけでもないから、美容・服飾費もそんなにかかりません。

むしろ、デートでは男性がごちそうしてくれたり、多めに支払ってくれることがほとんどだから、

婚活をすればするほど、飲食費は浮いている!

婚活にどこまでお金をかけるかは、自分次第。

私はこのまま、あまりお金をかけずに、ゆるく活動していきます。

RiKAKo

ライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンクライン ピンク

ring*三大婚活市場ring*

クリック情報キラキラ

クリック 情報キラキラ

クリック情報キラキラ

ring*婚活は身だしなみが大切ring*

クリック情報キラキラ

クリックプロが選ぶ婚活服レンタル

クリックVIO脱毛専門サロンキラキラ

クリックサロン選びなら

ダイヤ

女子SPA!で「」連載中!


搾取 関連ツイート

何とは言わんけど生誕祭搾取ほんとよくない(´-`).。oO(
変更券常設って土曜日来るたびに武器変えてもいいよ!ってことでしょ?
搾取しに来てるけどこれくらいはしてもいいと思う
@esp1toshiki1 @bonobonopg アイドルオタクは搾取されるのです…笑
RT @lethal_notion: 『暇と退屈の倫理学』は2011年の出版。議論の修正の必要は感じてはいないが、議論を付加する必要は感じている。「余暇の搾取」に僕らはあまりリアリティを感じなくなっているのではないか。少なくとも自分はそう感じる。2011年と同じようにはこの話が…

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする