アルセーヌに一目ぼれ

アルセーヌに一目ぼれ

アルセーヌについて最初に知るべき5つのリスト

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今月号のフラワーズ は岩本ナオ先生が表紙!
表紙のイメージ通り、ロマンチックな展開でした。
雑誌ではちょこちょこ読んでいますが、完結したら一気に読みたいお話です。
今月の輝夜伝は、カラー扉絵でした♡
竹やぶの中で輝くイメージのかぐや姫ですね。
相変わらず細部まで容赦ない美しさ…
このクオリティに慣れてしまって、あまり驚かなくなっている自分が怖いです。
ただ今月から単行本バージョンの新しいロゴに変わってたのが、ちょっと寂しい。
アイスフォレストみたいに、単行本と雑誌連載のロゴが違うパターンもアリかもと思ってましたが…
ページを開くと、早速かぐや姫の登場です。
不意打ちな場面のせいか略装のせいか、一瞬違う女性かと思ってしまいました。
最初は神秘的な印象だったかぐや姫が、どんどん人間味のあるキャラになってる気がします。
でも相変わらず気は強そうですね。
好みのタイプですわ。
そう言えば「とりかえ・ばや」でも四の姫が好みでした。
「あさきゆめみし」の葵の上も好きだったしなぁ(←誰も聞いてない)
帝のご一行が天女の羽衣を持ってきたと言っても無表情だったかぐや姫が、月詠を見つけた瞬間ニッコリしたのが可愛い。
明らかに月詠に対して好感を持ってますね!
かぐや姫の性格からして、他人は敵か味方のどちらかって感じがしますね。
羽衣の入った箱を開けて驚くかぐや姫を見て、「どーだっ」と言わんばかりの誇らしげな帝も可愛らしかったです。
常にクール、と言うか沈んだ表情の多い帝が、普通の純粋な少年に見えました。
羽衣が本物がどうか鑑定を任されたのは、なんとかぐや姫の愛犬でした。
さいとう先生と言えば猫のイメージなので、お話に犬が出てくるのは珍しいような。
てんやわんやしているうちに、帝は昔のことを思い出します。
そして、かぐや姫との本当の出会いも…
(ここで長い回想がありました)
わ〜、何たること!
幼いワンコが可愛い…じゃなくて、
幼い帝も可愛くて動物好きで良い子…でもあるけれど、
帝とかぐや姫は運命的な二人だったんですね!
そう言えば一巻の後書きで先生が、帝とかぐや姫のラブロマンスが素敵と言われてましたよね。
これは今後がますます楽しみになってきましたねぇ〜。
ツンデレ同士と思われる二人なので、一筋縄ではいかなさそうな所も楽しみ。

ここでの帝とかぐや姫の表情の変化が、とても良きでした。
特にかぐや姫、最後までツンツンキャラでいくかと思ったので、涙するシーンはぐっときました。
(まさか嘘泣きじゃないよね?)
気位の高い女性が弱さや不器用さを覗かせる瞬間って、好きだなぁ。
気になるところもありました。
どうやら、かぐや姫は成長が早いようで。
そして月詠もそうかもしれないとー
となると、例え愛し合う人ができても自分だけ先に歳をとってしまいますよね。
やっぱり悲恋のお話になるのか…
どんでん返しがあって普通の人間になれるのか…
あと、太郎丸(犬の名前)の首輪が最初は付いてないとか、竹取の翁は思ったより欲深で調子が良い人だなあとか、主上の尚侍がひたすら怖いとかも気になりした。


帝はかぐや姫を女御に迎えたいとハッキリ言われましたね。
そなたを女御に迎えたい…って違う帝のときめきシーンを思い出しちゃいましたが(//∇//)
桜にしたら〜の場面にしろ、恋する上様を見てると月詠みたいにニタニタしちゃいます。

帝が月詠に対して嫉妬してるような場面もありましたね。
かぐや姫が月詠に肩入れしてるので、ライバルだと感じたんでしょうか。
このままだと変わった三角関係になりそうで楽しみ(笑)


でも、かぐや姫が治天の君の養女って…
エエエェェって感じですねぇ。。
しかも月詠も一緒に住むって、男色のあやつに狙われちゃいませんか。
ちゃんと梟が守ってくれるのかしら。
結局、大神の邸に住んでたのにドキドキなことが一つも無かったのも残念です。
って期待してたのは私だけかも。
このままだと月詠とかぐや姫の距離はかなり近づきそうですね。
次号また話が大きく動いていきそうな予感がします。
最新版・かぐや姫が「人にあらず」な点
・ 体が輝く
・ 瞬間移動で
・ 生物を蘇生できる ←new!
・ 成長が早い ←new!
思ったより展開が早いせいか、場面転換が多いせいか、少し慌ただしい感じが続いてますね。
ページを大きくさいたロマンチックなシーンも、そろそろお願いしたいところです。
ところで今、各電子サイトにてさいとうちほ先生キャンペーンがやっているようです。

(さんより)

「とりかえ・ばや」1〜3巻無料
言うまでもない名作。先生ファンなら絶対に読まないといけません。
463円
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「VS ルパン」1巻無料
アルセーヌ・ルパンのコミカライズ。恋愛面にも力を入れておられます。まだ連載中。
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「アイスフォレスト」1〜3巻無料
とりかえばやの前作、壮大で真面目なスケート物。見た目イケメンがいて目の保養になります。
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「円舞曲は白いドレスで」1巻無料
初期の人気作。将臣さんファンは続けて白木蘭円舞曲(全3巻)も読むと幸せになれると思います。
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「少女革命ウテナ」1巻無料
これは…勇気のある方だけどうぞ。 
最近出た新作読み切りは、試し読み増量になってます。
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アルセーヌの通販特設コーナーが大好評、様々なニーズに応える特価商品がずらり揃ってます

こんにちは

『0号』初日の幕があきました。
何度経験しても、この緊張感。
いやー心臓に悪い。
この度に寿命縮んでるんじゃないかなって思いますw
「これだけ舞台やってたら、緊張なんてもうしないでしょ!?」
って言われるんですけど、
そんなことなくて毎回安定してやってきますw
むしろそうなりたいぐらいに、緊張します。
その度に、
Blogやツイッターのお言葉に支えてもらっていますありがとうございます♡
これもよく言われる言葉ですが、
「1人でも生きていけそう」
いやいや、全くそんなことなくて…(((;´ω`)
臆病ですし、怖がりなので、本当に皆さんの支え合って舞台にやっと立ててる人間です。
本当にありがとうございます
今回演じさせて頂くのは、

昭和初期。世界中のキネマ(映画)に魅了され女性ながら新聞記者として働く幸田という女性です。

自分の意思を持ち、自分で道を切り開いていくとても強い魅力的な女性です。
ですが、その強さや明るさの裏側には軍人の父や軍人の恋人との関係。
そして、お国とキネマの関係。憤りを感じる時代背景。
日々葛藤する彼女の姿に私も葛藤し、
彼女の大きな愛に私も包まれるような稽古の日々でした。
彼女の言葉に力をもらう事が多くて、
観にきてくださった皆さんにも、ちゃんと彼女の想いを届けられたらなともがいてます。
この『0号』という作品は、もしかしたら何らかの分岐点になる作品になるような気がしています。
これはやめるとかそういう意味ではなくて…w
今年の集大成という感じでしょうか。
今年は色々と考えさせられる年です。
舞台に復帰する前は、レッスンでもなんでも《恋愛モノ》が多く勉強させて頂いていました。
でも復帰以降は封印のごとく、そういった役柄に出会うことは中々ありませんでしたw
でもこの1年は封印が解けたかのように極々自然に、そういう役への巡り合わせが多く。
《ヒロイン》と呼ばれる役柄にも
『アルセーヌ・ルパン Sonia』
『虹色サラウンド』
『MODS#2』
『サヨナラダケガジンセイダ』
など巡り合うことができました。

今回も戦地に行った恋人を想う女性。

今年の集約と言ってもいいのでしょうか。
まだこういった役の印象は根付いていないと思うのでぜひ観て欲しい♡
今回の劇場でもあるエアースタジオさん。
私の舞台役者人生第2章
←って言ったらあまりにも大袈裟ですけどw
始まりがここにあります。
始まりの第1章はミュージカル子役時代。
終わったかと思いきや、
想像もしていなかった第2章が始まったのが4年前に『Go,Jet!Go!Go!』。
エアースタジオさんの作品ですね。
初めてのコメディーも、
初めてのお婆ちゃんも、
初めてのヒロインも、
私にとっては修行の場。
今回はその全てが集約されている感じ。

ねっ。

今年3回目のお婆ちゃんですw
おのお婆ちゃんがまたね、個人的にも好きなのです。wこれまた今年の集約です。
話を戻して…w
いつもは若手陣が多く、短い稽古期間を一緒にもがき苦しみながら過ごしていますが
今回は、エアースタジオ作品常連の先輩方が多く滅多に揃わない方々とご一緒させてもらってます。
そういう意味でも、こういう座組みに入れて頂く事も《分岐点》を感じます。
『0号』の後のお話を少しすると、
同一人物の役を2作続けてやらせてもらったり、
昨年今までとポジションの違う役を最初に挑戦させて頂いた作品の続編をやらせて頂いたり、
お世話になってる演出家さん主宰の劇団さんの作品に初めて出演させて頂く予定だったり、
本当にありがたいことに久々に主演の御話を戴いていたりと、
秋口まで「トーマス」公演以外にもお声を頂いていて。

『0号』に今感じている事は、《分岐点》というかひとつのターニングポイントなのかなと感じています。


だからこそ、
皆さんに観ていただきないなと。


見届けて頂きたいなと。


今回ミュージカルシーンの振付けもしております。
その事についても描きたいのだけど時間がないのでまたにします。

ぜひ観にきてね。


♡information♡

🍀10月11月作品🍀

2018/10/25(木)~11/5(月)

『0号』

脚本・演出  柿ノ木タケヲ(ゲキバカ)

Bチームに出演します✨


《あらすじ》

昭和初期、映画がまだ「キネマ」とか「活動写真」なんて呼ばれていたころ、それは文化の花形だった。
活気ある撮影所は、その「キネマ」に青春を懸ける若者たちであふれていた。
明日のスターを夢見る役者。作品で名を上げようとする監督。職人気質の癖のあるスタッフたち。
しかし、時代の背後には軍靴の音が近づいていた・・・。
「分かりやすいのに奥深い、王道エンターテイメント」をあなたに。
戦争という「時代」に翻弄されながらも、強く生き抜いた人々を生き生きと描くヒューマンドラマ



《CAST》
荒田聖 
五十里直子
菊地智春
清谷翼
木場光勇
佐藤響
下京慶子
野田隼大
楓明堂ふみたろう
古川原香織 
松田実里 
森田和正 
☆ 
三好忠幸


《Bチームスケジュール》

10月

26日(金)20:00
27日(土)20:00
28日(日)16:00
29日(月)休演日
30日(火)19:00
31日(水)休演日

11月
1日(木)15:00
2日(金)休演日
3日(土)12:00
4日(日)20:00
5日(月)19:00



詳細HP▶️


チケット予約▶️ 

🍀12月作品🍀

『スターダスト・インフェルノ 番外編』

【公演日時】 
2018年12月8日(土)〜9日(日)

【公演スケジュール】
12月8日(土) 14:00 /19:00
12月9日(日) 12:00 /16:00

全4公演

【チケット予約】

⚠️事前に会員登録が必要です。


【チケット席種】

SS席 \12,000

(最前列、特典付き)


S席 \10,000

(2-3列、特典付き)


A席 \7,000

(4-6列)


B席 \5,000

(7列 ※最後列になります)


※特典につきましては後日詳細発表致します。

※購入の際に座席表からお座席をお選び頂けます

※SS席 A-1、A-11、A-12は見切れ席となっております

※SS席は段差の低いお席となっております

※ほとんどのお席がお隣の方との仕切りがないベンチシートのお席となります

上記ご了承の上お申し込みくださいませ。



【キャスト】
村瀬歩
小林都
齋藤雅樹
岡田望見
田中祥也
島田雅之
松田実里
寺下知輝 (8日公演ゲスト) 
琉河天 (9日公演ゲスト)

【演出】 
篠宮穰祐

【劇場】
しもきた空間リバティ

【公式Twitterアカウント】
 @extra_star_
🔼要チェック!!!

🍀1月作品🍀

『スターダスト・インフェルノ Story Of Destiny』

【公演日時】 
2019年1月9日(水)〜14日(月・祝)

【劇場】
新宿村Live

こちらの本編にも出演させて頂く事になりました!!!


【キャスト】

■キャスト

《Original/Replica》

(一部Wキャスト:敬称略)


ハルカ(1番) 岡延明


ソラ 松田浩毅


上遠野始 宮原弘和


ニコ 琉河天

アデル 江益凛


プリンス 新井裕士

ロジェ 織田俊輝


眼鏡さん 星澤美緒

ドクター 篠宮穰祐


フレート 小塚亮輔


南雲藤乃 松田実里

雪村朝陽 丸山正吾


フラテッロ 谷口博昭

アミ 大下洋子



Twitter➡️@misato_matsuda
Instagram➡️misato_matsuda

アルセーヌほど素敵な商売はない

こんにちは

『0号』初日の幕があきました。
何度経験しても、この緊張感。
いやー心臓に悪い。
この度に寿命縮んでるんじゃないかなって思いますw
「これだけ舞台やってたら、緊張なんてもうしないでしょ!?」
って言われるんですけど、
そんなことなくて毎回安定してやってきますw
むしろそうなりたいぐらいに、緊張します。
その度に、
Blogやツイッターのお言葉に支えてもらっていますありがとうございます♡
これもよく言われる言葉ですが、
「1人でも生きていけそう」
いやいや、全くそんなことなくて…(((;´ω`)
臆病ですし、怖がりなので、本当に皆さんの支え合って舞台にやっと立ててる人間です。
本当にありがとうございます
今回演じさせて頂くのは、

昭和初期。世界中のキネマ(映画)に魅了され女性ながら新聞記者として働く幸田という女性です。

自分の意思を持ち、自分で道を切り開いていくとても強い魅力的な女性です。
ですが、その強さや明るさの裏側には軍人の父や軍人の恋人との関係。
そして、お国とキネマの関係。憤りを感じる時代背景。
日々葛藤する彼女の姿に私も葛藤し、
彼女の大きな愛に私も包まれるような稽古の日々でした。
彼女の言葉に力をもらう事が多くて、
観にきてくださった皆さんにも、ちゃんと彼女の想いを届けられたらなともがいてます。
この『0号』という作品は、もしかしたら何らかの分岐点になる作品になるような気がしています。
これはやめるとかそういう意味ではなくて…w
今年の集大成という感じでしょうか。
今年は色々と考えさせられる年です。
舞台に復帰する前は、レッスンでもなんでも《恋愛モノ》が多く勉強させて頂いていました。
でも復帰以降は封印のごとく、そういった役柄に出会うことは中々ありませんでしたw
でもこの1年は封印が解けたかのように極々自然に、そういう役への巡り合わせが多く。
《ヒロイン》と呼ばれる役柄にも
『アルセーヌ・ルパン Sonia』
『虹色サラウンド』
『MODS#2』
『サヨナラダケガジンセイダ』
など巡り合うことができました。

今回も戦地に行った恋人を想う女性。

今年の集約と言ってもいいのでしょうか。
まだこういった役の印象は根付いていないと思うのでぜひ観て欲しい♡
今回の劇場でもあるエアースタジオさん。
私の舞台役者人生第2章
←って言ったらあまりにも大袈裟ですけどw
始まりがここにあります。
始まりの第1章はミュージカル子役時代。
終わったかと思いきや、
想像もしていなかった第2章が始まったのが4年前に『Go,Jet!Go!Go!』。
エアースタジオさんの作品ですね。
初めてのコメディーも、
初めてのお婆ちゃんも、
初めてのヒロインも、
私にとっては修行の場。
今回はその全てが集約されている感じ。

ねっ。

今年3回目のお婆ちゃんですw
おのお婆ちゃんがまたね、個人的にも好きなのです。wこれまた今年の集約です。
話を戻して…w
いつもは若手陣が多く、短い稽古期間を一緒にもがき苦しみながら過ごしていますが
今回は、エアースタジオ作品常連の先輩方が多く滅多に揃わない方々とご一緒させてもらってます。
そういう意味でも、こういう座組みに入れて頂く事も《分岐点》を感じます。
『0号』の後のお話を少しすると、
同一人物の役を2作続けてやらせてもらったり、
昨年今までとポジションの違う役を最初に挑戦させて頂いた作品の続編をやらせて頂いたり、
お世話になってる演出家さん主宰の劇団さんの作品に初めて出演させて頂く予定だったり、
本当にありがたいことに久々に主演の御話を戴いていたりと、
秋口まで「トーマス」公演以外にもお声を頂いていて。

『0号』に今感じている事は、《分岐点》というかひとつのターニングポイントなのかなと感じています。


だからこそ、
皆さんに観ていただきないなと。


見届けて頂きたいなと。


今回ミュージカルシーンの振付けもしております。
その事についても描きたいのだけど時間がないのでまたにします。

ぜひ観にきてね。


♡information♡

🍀10月11月作品🍀

2018/10/25(木)~11/5(月)

『0号』

脚本・演出  柿ノ木タケヲ(ゲキバカ)

Bチームに出演します✨


《あらすじ》

昭和初期、映画がまだ「キネマ」とか「活動写真」なんて呼ばれていたころ、それは文化の花形だった。
活気ある撮影所は、その「キネマ」に青春を懸ける若者たちであふれていた。
明日のスターを夢見る役者。作品で名を上げようとする監督。職人気質の癖のあるスタッフたち。
しかし、時代の背後には軍靴の音が近づいていた・・・。
「分かりやすいのに奥深い、王道エンターテイメント」をあなたに。
戦争という「時代」に翻弄されながらも、強く生き抜いた人々を生き生きと描くヒューマンドラマ



《CAST》
荒田聖 
五十里直子
菊地智春
清谷翼
木場光勇
佐藤響
下京慶子
野田隼大
楓明堂ふみたろう
古川原香織 
松田実里 
森田和正 
☆ 
三好忠幸


《Bチームスケジュール》

10月

26日(金)20:00
27日(土)20:00
28日(日)16:00
29日(月)休演日
30日(火)19:00
31日(水)休演日

11月
1日(木)15:00
2日(金)休演日
3日(土)12:00
4日(日)20:00
5日(月)19:00



詳細HP▶️


チケット予約▶️ 

🍀12月作品🍀

『スターダスト・インフェルノ 番外編』

【公演日時】 
2018年12月8日(土)〜9日(日)

【公演スケジュール】
12月8日(土) 14:00 /19:00
12月9日(日) 12:00 /16:00

全4公演

【チケット予約】

⚠️事前に会員登録が必要です。


【チケット席種】

SS席 \12,000

(最前列、特典付き)


S席 \10,000

(2-3列、特典付き)


A席 \7,000

(4-6列)


B席 \5,000

(7列 ※最後列になります)


※特典につきましては後日詳細発表致します。

※購入の際に座席表からお座席をお選び頂けます

※SS席 A-1、A-11、A-12は見切れ席となっております

※SS席は段差の低いお席となっております

※ほとんどのお席がお隣の方との仕切りがないベンチシートのお席となります

上記ご了承の上お申し込みくださいませ。



【キャスト】
村瀬歩
小林都
齋藤雅樹
岡田望見
田中祥也
島田雅之
松田実里
寺下知輝 (8日公演ゲスト) 
琉河天 (9日公演ゲスト)

【演出】 
篠宮穰祐

【劇場】
しもきた空間リバティ

【公式Twitterアカウント】
 @extra_star_
🔼要チェック!!!

🍀1月作品🍀

『スターダスト・インフェルノ Story Of Destiny』

【公演日時】 
2019年1月9日(水)〜14日(月・祝)

【劇場】
新宿村Live

こちらの本編にも出演させて頂く事になりました!!!


【キャスト】

■キャスト

《Original/Replica》

(一部Wキャスト:敬称略)


ハルカ(1番) 岡延明


ソラ 松田浩毅


上遠野始 宮原弘和


ニコ 琉河天

アデル 江益凛


プリンス 新井裕士

ロジェ 織田俊輝


眼鏡さん 星澤美緒

ドクター 篠宮穰祐


フレート 小塚亮輔


南雲藤乃 松田実里

雪村朝陽 丸山正吾


フラテッロ 谷口博昭

アミ 大下洋子



Twitter➡️@misato_matsuda
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アルセーヌの良さについて語ろう。

松本隆といえば、昭和から現在に至る、稀代の作詞家といわれます。2100曲以上の詞を400組近くのアーティストに書き上げ、130曲以上のベストテンヒット、うちチャート1位50曲以上を世に送り出した実績は、比類なきものとされます。

ただ自分は、作詞家としての松本隆をよく知りません。関心があるのは、はっぴいえんどの松本隆です。高校生だった当時、リアルタイムで聴いていました。しかしまだマイナーな存在だったこともあり、メンバーの実像はよくわかりませんでした。時は遷り昨今の松本隆は、メディアに頻繁に登場しています。活字やインタビューなどで、自身の若かりし頃を語ることもしばしばです。はっぴいえんどに心酔していた自分にとって、興味深いことです。

そこで以前荒井由実で試みたと同様、「松本隆ヒストリー」を書いてみることにしました。本や雑誌、ネットなどに散らばる、彼のこまかな履歴を拾いあつめ、はっぴいえんど解散までをまとめてみたのです。具体的には、その誕生から高校までの成長過程と、細野晴臣と出会ってからは大瀧詠一や鈴木茂らも含め、その人間的な関係性に話を絞りました。詞作のエピソードは採り入れましたが、難しい創作論などには触れていません。はっぴいえんどヒストリーでもありません。あくまで、松本隆の人となりを浮き彫りにすることを目的としました。

松本隆やはっぴいえんどのファンなら、どこかで見聞きした話の寄せ集めです。下記の引用元からつまみ食いし、ただ列挙しただけのことです。でもデータ量で勝負したので、ご存じない話もあるかも、です。松本隆の、その若き日々に関心がある方々に読んでいただければ幸いです。

参考とした 本 雑誌 サイト

『定本はっぴいえんど』大川俊昭編 白夜書房

『はっぴいな日々』レコードコレクターズ増刊

『風都市伝説』北村正和編 音楽出版社

『成層圏紳士』松本隆著 東京書籍

『風街詩人』松本隆著 新潮文庫

『BRUTUS』2015年7月号 特集 松本隆

『松本隆対談集 KAZEMACHI CAFÉ』ぴあ株式会社

『レコードコレクターズ』2017年10月号 作詞家・松本隆の世界

『大瀧詠一Writing&Talking』白夜書房

『阿久悠と松本隆』中川右介 朝日新書

『音楽王 細野晴臣物語』草野功編 シンコー・ミュージック

松本隆は1949年7月16日、東京の青山に生まれる。漢学者の大叔父が名付けた。生家は高台にあり、よく晴れると富士山が見えた。しかし松本が中学のとき、東京オリンピック前の都市計画で立ち退かされる。敷地のあった場所は、現在キラー通りと呼ばれる道路になっている。故郷をなくした喪失感を松本は、はっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』であらわした。

両親はともに群馬の出身。若いときに上京し三人の子をもうけた。父は大蔵省の官僚だった。戦時中は学徒出陣、戦闘機に乗る予定だったが、訓練中に事故で足を負傷、出陣することなく復員した。絵画や詩が好きな父だったが、音楽にはさほど興味がなかった。2015年に発売された松本作詞『驟雨の街』。この”驟雨”は、松本の中学時代、父の本棚にあった吉行淳之介の同名小説からとった。

母は伊香保の出で、写真館の娘だった。美人で国鉄のポスターモデルにもなる。相当なおてんば娘でもあり、男装して神輿を担いだ。戦時中は学徒動員で戦闘機造りに従事した。料理が苦手で、台所に立つ時期に戦争があったからと言い訳した。

子供のころ松本は、春、夏、冬の休みごと、母の実家に預けられた。学校が始まる直前まで休みをまるごと伊香保で過ごし、東京の真夏は大きくなるまで知らなかった。はっぴいえんど『夏なんです』は、石段や鎮守の森のある伊香保が原風景。冬にはスケートで、凍った湖を滑った。

伊香保の祖父は、明治三十年代から三代続く写真館を営み、町の有力者でもあった。ハイカラな人で、群馬県で二番目にクルマの免許をとり、初孫の松本には、ひらがなより先にローマ字を教えた。伊香保の家にはラッパのついた蓄音機があり、松本は音楽に興味を抱くようになった小学生時代、映画音楽やクラシックをここで聴き始めた。松本の音楽好きはこの祖父からの遺伝という。

松本は長男。ひとつ下の弟の裕はレコーディングエンジニアで、斉藤由貴の『卒業』を担当。若い頃は『ほうむめいど』というバンドを立ち上げ、兄と同じくドラマーで活動していた。はっぴいえんどの前座をつとめたり、セッションメンバーとしてはっぴいえんどに加わり、兄とツインドラムの競演をおこなったこともある。

妹の由美子は生まれつき体が弱かった。その誕生以来、両親の愛情はすべて妹に注がれるようになる。松本は寂しさより、五歳ながらも長男を自覚するようになった。妹は走ることも泳ぐことも医者から禁じられた。松本はふたつランドセルを持ち、妹は母に背負われ、区域外の遠い通学路を一緒に通った。しかし1980年、心臓を患い26歳の若さで亡くなる。大瀧詠一に書いた『君は天然色』は、妹を偲び綴られた。

生まれた家の隣はキリスト教の青山教会で、庭にブランコやジャングル・ジム、砂場があった。そこで幼い松本は、近所の子供たちと遊びに興じた。教会内には幼稚園もあり、必然的に通うことになる。なにしろ隣のこと、始業のチャイムが鳴ってから家を飛び出すこともあった。

小学校時代

松本少年は、学区外の青南小学校に入学した。当時は規則がゆるかった時代で、越境入学児は大勢いた。1年生のとき、買ってもらったばかりの自転車もろともオートバイにはねられ、生死をさまよう大けがを負う。

最初に読んだ文字の本はSF小説の『地底王国』。オートバイ事故で二か月入院したとき、退屈だろうと叔母が買ってくれた。知らない漢字ばかりだったが、ルビを頼りに読み進んだ。以来松本は読書好きな少年となった。二冊目に読んだのが江
戸川乱歩の『少年探偵団』。乱歩小説の舞台が住んでいる青山だったことにあり、少年探偵団の十数巻すべてを読んだ。

一方でカブ・スカウト、ボーイ・スカウトにも入り、アウトドア志向の活発な少年でもあった。原宿の東郷神社の池に、ハックルベリー・フィンをまねて、手製の筏を浮かべたこともある。仲間のみんなで乗るとすぐ沈んだ。全身ずぶ濡れになり、池の水の臭さに閉口した。

読書は江戸川乱歩からエドガー・アラン・ポーに移り、アルセーヌ・ルパンを経て、コナン・ドイルなど推理小説の世界に耽るようになる。さらに父の本棚にあった、シャルル・ピエール・ボードレールの詩集『悪の華』にも手を伸ばし、怒られた。詩人の生誕から死までを退廃的、官能的に表現された本だった。背伸びしすぎて意味はわからなかったのだが、この手当たり次第の乱読を親が見かね、少年少女用の日本文学全集と世界文学全集を買ってくれた。それぞれ全50巻以上もあったが、すべて読んだ。松本少年は食事の時間も忘れ、七つの海を股にかけるヒーローとなった。

5年の時、親友となる石浦信三と出会う。クラスは別だったがともに本好きで、図書室で仲良くなった。松本は円周率の小数点以下十数桁くらいまで言えたが、学年で算数が1番の石浦は、さらに多くの桁を知っていた。石浦は松本が読んだ本も読み終えているなど、お互いが刺激し合った。石浦はのちにはっぴいえんどのブレーンとなる。

同じく5年の時、家にステレオが置かれた。父の職場に電気工作マニアがいて、その作品を譲り受けたのだ。ところが家にはレコードがない。父母とも音楽に関心がなかった。松本は西部劇映画の『アラモ』『荒野の決闘』『アラモ』などにも夢中になっていたこともあり、主題曲のソノシート(レコード)を買ってもらい聴いた。音楽への関心は、これら映画音楽が入口となった。

松本は漫画も大好きな少年だった。文字を覚える前から読んでいた。小学校低学年から読み始めた『少年サンデー』や『少年マガジン』を、作詞家になってからも読んでいた。一時期は、自分の精神年齢はこれ以上伸びないのかと、本気で悩んだ。

漫画は描くのも得意で、学校の休み時間に人気漫画『まぼろし探偵』の絵を描いていると、まわりに人垣ができた。絵画は父の世界美術全集から、ミロやカンディンスキーが好きになった。抽象性の強いものに魅かれ、上野の美術館であったピカソ展では、感動のあまり涙があふれて出た。

中学校時代

競争率26倍の慶応中等部を受験、合格する。偶然にも石浦が入学していた。クラス替えは毎年あったが、ふたりは3年間とも同じクラスとなる。一緒に学校から帰るなどさらに親密な仲になり、図書室の本を片っ端から読む競争もした。ランボー、ボードレール、ポー、コクトー、ジャン・コクトー、ラディゲなどを、乱読、斜め読みした。お互いに読んだ小説や詩の自慢や情報交換、さらには自分たちも小説や詩を書き、批評し合った。日本の詩人は好きにはなれなかったが、宮沢賢治と中原中也は別格だった。松本の教養は石浦とともに、小学5年ころから中学1、2年時に形成された。

音楽は、カッコいいという理由だけで、マーラー、ドビュッシー、ラヴェル、ストラビンスキーなどクラシックを聴いた。チャイコフスキーやベートーヴェンは月並みだと馬鹿にした。シェーンベルクまでいくとよくわからなかった。余談だが、昨年あったテレビ番組で、松本が当時の読書や音楽の話をすると、対談相手の斉藤由貴が、「そんな同級生がいたら、いじめたくなっちゃう」と突っ込んでいた。

背が高かったので勧誘され、バスケット部に入部した。二年まできつい練習を体験。真夏に地方で合宿したときは、スポーツドリンクのない時代、生ぬるい水を飲んでは吐きながら、体育館を飛び回った。得意な絵も捨てがたく、形だけ美術部にも入った。

松本が中1のとき、一家は青山の家を立ち退き、麻布笄町に引っ越している。

ビートルズ

中2の終わりごろ、クラスの事情通がビートルズの存在を皆に話し、レコードを学校に持ってきた。ものわかりのいい英語の教師が、授業で使うポータブル・プレイヤーで、その『抱きしめたい』をかけてくれた。この一瞬で、松本隆というそれまでの文学少年&バスケット少年は終わりを告げる。マーラーやドビュッシーも消え去った。松本の音楽のすべては、ビートルズなどイギリスのロックに代わった。そして自分もやりたいと思った。どうやってやるかわからなかったが、やりたいと強く思った。

プレスリーなども聴いてはいたが、それほど感じることはなかった。のちに知り合う1、2年年長の細野晴臣や大瀧詠一はプレスリーにはまった。わずかの年齢差で、松本はアメリカンポップスや黒人音楽の洗礼を受けなかった。上に兄弟がいれば、プレスリーを好きになっていたかもしれない。ただはじめて小遣いで買ったレコードは、リトル・ペギー・マーチの『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』のシングルで、このあたりは大瀧と重なり合うという。

バンド結成

3年の修学旅行は長崎だった。ここで仲間と盛り上がり、5人でバンドをつくることになる。誰も楽器は弾けなかった。カッコいいドラムポジションはみなの奪い合いになったが、松本はジャンケンで勝つ。成績表のAの数をかけて、親にドラムを買ってもらう。ギターも試したがすぐあきらめた。音痴じゃないが、ヴォーカルは好きじゃなかった。のちに細野晴臣の前で歌ったが、嗤われた。

バンドのスタイルは、他の皆がやっていたビートルズはやめた。同じリヴァプール・サウンドのデイヴ・クラーク・ファイヴを真似ることにした。理由はカッコよかったから。すべての基準はカッコよさだった。松本らメンバーのルックスもまぁよかった。というよりルックスオンリーだった。後輩の女の子が騒ぐのがうれしかった。

このバンドでは『ファントマのうた』というのオリジナルをつくった。松本が詞を書いた。フランスの『ファントマ
光石火』という怪奇映画をもじったもので、修学旅行で行った長崎でつくった。むろんお遊びだが、コクトーの匂いを織り交ぜた、一応これが松本の処女作ということになる。しかしこのバーバリアンズと名付けられたバンドは、練習だけで自然消滅してしまう。

部活

部活は3年生になるとき体育会系が嫌になり、バスケット部は退部した。同時に美術部の部長になる。部会には一度も出たことはなかったが、なぜか指名された。画家になろうと考えていたほどの才能が認められたのか。

ところが石浦に誘われ方向転換、美術部もやめ放送研究会に入ってしまう。ここでは昼の校内放送の原稿を書いたり、ディスクジョッキーを適当にこなした。松本は学園祭に放送劇として、安部公房『赤い繭』の戯曲を書いたが、顧問だった古文の教師に前衛過ぎる、もっとやさしく書くよう却下される。「若いときはこういうものを書きたがるんだ」と言われ、いたく傷ついた。

高校生時代

慶応高校に進むと、石浦とはクラスが分かれた。疎遠になり、たまに会ってお茶を飲む程度になった。石浦は学生運動に走ったのだが、松本は関心がなかった。世の中は暴力では変わらない、音楽なら変わるかもしれないと考えていた。

部活は中学時代の友人が、体を鍛えようと体育会に誘う。何部かわからずついていったら、レスリング部だった。来た以上もう逃げられず、やむなく入部した。しかし嫌でたまらず、かといって辞めるといったら体育会のこと、なにをされるかわからない。それでも半年後、配られたユニフォームを見て着る気が失せる。意を決し退部を申し出た。理由はバンドをやることとした。ならば日本一のバンドになる覚悟はあるかと問われた。ここで逡巡したら辞めれない。やむなく「なってみせます」と宣言した。

バーンズⅠ期

松本は新しいバンドを結成する。レスリング部で辞めた理由を周囲は知っている。その手前もあったが、夏に千葉県館山の海の家で、3歳ほど年上の上手なバンドを目の当たりにしたことも大いに刺激になった。それまでのバンドは遊びでしかなかった。活動を本格的なものに変えることにした。

バンド名は『バーンズ』。イギリスのインストゥルメンタルバンド、ザ・シャドウズを真似た。腕のあるメンバーをあつめた。放送研究会で一緒だった伊藤剛光がギターで、松本がドラム、あとリードギターとベースの4人。おそろいのユニフォームまでつくり、1年生の間は練習に専念した。松本はいつもドラムのスティックを持ち歩き、漫画雑誌を叩いて練習した。松本「厚めの雑誌はいい音がした」。

のちに細野晴臣が加入することになるのだが、それまでのこの時期をバーンズⅠ期と呼んでいる。細野は言わせるとⅠ期は金持ちの子弟が集まった、慶応の坊ちゃんバンドということになる。

2年生の頃には相当上達、パーティー演奏のバイトをするようになった。池袋のヤマハにWISというバンドの登竜門があり、ここでの最上級に達する。その渋谷店がオープンしたとき、道玄坂に面したバルコニーで演奏もした。またドラムメーカー主催の全国コンテストで優勝。そのご褒美でテレビ朝日『ヤング720』に出演した。レッド・ツェッペリンの『グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』を演奏し、松本はドラムソロを披露した。

バーンズは1967年、ヤマハ主催の第一回ライトミュージックコンテストの関東甲信越大会に出場し、ロック部門の第3位にもなっている。このときフォーク部門で第2位だったのが、早川義夫率いるジャックスだった。松本はその『からっぽの世界』を聴き、日本語のロックの可能性を見出す。松本はこの頃、コピーにも嫌気がさしていた。ジャックスの日本語での、自分たちの言葉での歌に松本は衝撃を受けた。

時あたかもグループサウンズの全盛期だったが、それは従来の歌謡曲と何ら変わらなかった。松本にとってグループサウンズは、自分らの音楽にとってまるで関係ないものだった。音楽ですらないと思っていた。ああはなりたくない、無関係のものだった。関西フォークも嫌いだった。のちに高田渡と知り合ったが、『自衛隊に入ろう』も大嫌いだった。岡林信康も理解できず、のちにバックをやるとは思わなかった。

細野晴臣

慶応大学商学部に進学する春、バーンズのベースが勉強のため抜けることになる。高校を卒業したので、これからはディスコなどでバイト演奏して稼ぎたい。ベースの欠員を埋めるため松本は、細野晴臣に電話をする。面識はなかったが、天才ベーシストとの評判を耳にしていたのだ。細野はこのとき立教大学3年だった。

翌日、原宿駅前の喫茶店で会うことになった。高校を卒業したての松本は、ピン・ストライプのスーツにレイバンのサングラス姿で細野の前にあらわれた。それも遅れてやってきた。勧誘する立場として虚勢を張った。生意気な気障野郎だと、細野は思った。その細野は髭と髪を伸ばし、齢二十歳にして人生を悟りきったような容貌だった。まるでお爺さんだと、松本は思った。

挨拶もそこそこに松本は、ヤマハのコンテストに出て賞をもらったとか、テレビでドラムソロをやったなど、自慢話を披露する。細野は閉口したが、金もうけのため誘いに乗ることにした。そしてベースの腕を披露するため「今から道玄坂のヤマハで弾く」と、原宿から渋谷まで一緒に歩いた。細野は楽器売り場にあるベースでビートルズの『デイ・トリッパ―』を弾いたが、三回やって三回ともつっかえた。いいところを見せようと難しい曲を選んでしまった。

不安になった松本は、「いちおうはオーディションをしたいんだけれど」と、課題曲を細野に告げる。失礼な奴だと細野はむっとしたが、目にもの見せてやろうと練習し、後日、バーンズの伊藤剛光の青山の超豪華な家にベースを担いで行った。前回とは打って変わった細野の、生き物のように動く指に松本らメンバーは驚き、深い音楽知識にも敬服した
初対面でつっぱったのも、細野の実力になめられまいとする必死の抵抗だった。「バンドをやるには髪が短すぎる」と言われた松本は、カツラをかぶることになった。

バーンズⅡ期

こうしてバーンズⅡ期がスタートした。メンバーは、細野晴臣ベース 松本隆ドラムス 伊藤剛光リードギター、そこに小山高志というヴォーカルが加わり、インストゥルメンタルバンドを脱することになる。バーンズは青山や赤坂のディスコで毎晩、朝まで演った。

バーンズⅡ期の活動期間は1年間だったが、大学は松本の入学時から学園紛争で休校ばかりだった。ロックアウトがなかったら、バンドなんかやっていなかった。しかし松本は、中学の頃から自分はサラリーマンには向いていないと感じていた。人に頭を下げるのが嫌いだった。就職する気はなかった。自由業しかないと思っていた。はっぴいえんどを解散して、無為の日々を送っていたとき、あるレコード会社からディレクターにならないかと誘われた。未来を保証するとの言葉に心が揺らいだが、翌日断った。このときの一度だけは迷った。

それでもやはり松本は、細野と出会わなければ銀行か商社に就職していたという。細野は松本の母親に呼び出され、「うちの息子を悪い道に引き込まないでくれ」と懇願されている。官僚の父は泣いていた。しかし息子は就職どころか、大学を中退してしまう。松本を音楽の道に引きずり込んだ当の細野は無事卒業したというのに。おまけに細野は自分の卒論作成を、松本に協力させている。社会学の担当教授に「これからはっぴいえんどという、世にも大事なバンドをやる」と、松本が書いた詞を教授に提出したのだ。細野によれば、教授はその詞にいたく感激したという。

詞作

松本が大学2年の時、細野に詞を書くよう勧められる。それも日本語の詞を。次のエイプリル・フールで細野は英語詞を強要したのだが、バーンズでの細野は日本語の歌を望んだ。詩は好きな松本だが、音に乗せることは考えなかった。ジャックスを聴き、刺激は受けていたのだが、具体的な方法がわからなかった。中学校の時の詞は遊びだった。細野はサイモン&ガーファンクルを訳すことを提案、松本は辞書を片手に、その夜から『サウンド・オブ・サイレンス』に取り組んだ。

松本は外国の歌詞では、ジョン・レノンとボブ・ディラン、そしてポール・サイモンが好きだった。ポールは特別だった。しかし難解で、日本語にうまく置き換えられない。大学の、東洋英和からきた、クラスで英語が一番の女の子に訳してもらった。松本はビートルズやプロコル・ハルムも聴きなおし、詞の研究を重ねた。

こうして松本の詞作が始まったのだが、曲も一度作ったことがある。しかし細野に嗤われ、以来やめた。天才がそばにいると、音楽の才能が封じ込められる。18歳の時に細野が目の前に現れ、この関係性は死ぬまで続くだろうと、このときから感じた。しかし詞では負けない。強い自負を松本は、胸に秘めることになる。

バーンズ解散

バーンズは、主に青山のディスコ『コッチ』に定期出演するようになる。ここで培われたR&Bが、はっぴいえんどのベーシックとなった。バーンズは慶応大学のサークル『風林火山』にも所属していたので、毎週土曜日開かれる軽井沢三笠ハウスでのダンスパーティーなど、あちこちで演奏した。松本は、軽井沢の合宿所のようなところに長い間寝泊まりし、そこを追い出されると友達の家を転々とした。

68年の秋、風林火山主催のコンサートにトリで出演することになり、松本は細野とオリジナル5曲をつくることになる。これが松本の本格的な詞作群となった。はっぴいえんどに先駆けての日本語のロックということにもなる。このときの『暗い日曜日』は、次に加入した『エイプリル・フール』のアルバムに収められた。同じく『めざめ』という歌は、はっぴいえんどファーストアルバム『ゆでめん』に入れようとしたが、ボツになった。この詞は、72年11月に出たエッセイ集『風のくわるてっと』におさめられている。

なおこのコンサートでのバンド名はバーンズではなく、『アンティック・マジシャンズ・アンノウンバンド』を名乗った。細野はバンド名を考えるのが好きだった。すぐ変えるのも趣味だった。細野は自ら属すバーンズを評価しなかった。ヴォーカルが弱いこのバンドは、活動を終えることになった。

新バンド

このころ柳田ヒロ率いる、『フローラル』という実力バンドがいた。全国公募によって結成され、すでにシングル盤2枚を出していた。柳田はアルバム制作のため、より優れたベースとドラムスを求め、細野に声をかける。細野はアルバムをつくれる魅力と、月給5万円に目がくらみ加入を決める。

そして松本も誘われる。松本は大学で勉強すると渋ったが、口説き落とされる。好きな音楽の魅力に勝てなかった。大学は周囲が十数名も落第して、友達がいなくなっていた。学校へ行く魅力が失せたタイミングで誘われてしまった。松本は高校時代と同様、大学でも政治に関心がなかった。全共闘の友人も、右翼系の友達もいたが、思想的にどちらにも属さなかった。暴力ではなにも変わらないという考えは、高校のときから変わらなかった。自分には音楽しかないと、政治には染まらなかった。

エイプリル・フール

かくてフローラルは4月1日、その日をもじった『エイプリル・フール』に改名する。菊池栄二リードギター 小坂忠ヴォーカル 柳田ヒロキーボード 細野晴臣ベース 松本零ドラムスという布陣となった。松本はこの時だけ、松本零という名を使っている。とくに意味もなくつけたのだが、まもなく脚光を浴びる漫画家の松本零士とダブることになり、以降は本名に戻した。

バンド活動の拠点は新宿のディスコ『パニック』。花園神社近くにある、不良外人がたむろする危険な雰囲気の店だった。
9月には単独ライブをおこなった。10月に発表したアルバムは、ボブ・ディランの『プレシンング・タイム』が唯一のカヴァー曲で、他はオリジナル。うち2曲が松本による日本語歌詞だった。

エイプリル・フールは、当時の日本の水準では群を抜いた存在で、評判は評判を呼んだ。ちなみに当時のサラリーマンの給料は3万円の頃。松本は5万円をもらい、毎晩演奏出来てうれしかった。ドラマーとしてのスキルも上がった。当時は右足が機関銃のように動いた。2000年発刊の『はっぴいな日々』で松本は、「人生で一番楽しかった時期」と語っている。

しかし実は、結成直後のアルバム制作時に細野と柳田が大ゲンカし、エイプリル・フールは早々の解散が決まっていた。契約が9月まであり、決められた仕事をこなすだけの活動となっていた。松本も日本語の詞を2曲しかやらせてもらえなかった。英語の詞をいやいや書いていた。バーンズでは日本語を勧めていた細野も、エイプリル・フールでは一転、英語しか認めなかった。松本いわく「細野さんはすぐ裏切る」。

はっぴいえんど

バーンズのときから松本は、細野のバッファロー・スプリングフィールド音楽志向に共鳴していた。加えて小坂も細野に感化され、まだエイプリル・フール在籍中ではあったが、3人は新しいバンドをつくることで一致する。しかしそこへ突然、小坂のロック・ミュージカル『ヘアー』の出演が決まってしまう。困った細野は友人の中田佳彦に声をかける。しかし就職すると断られ、大瀧詠一に声をかける。大瀧は岩手から上京後、バンド活動をしていて、中田を介して細野と知り合っていた。ポップス好きだった大瀧が、細野から借りて聴いたバッファロー・スプリングフィールドの魅力に気づき、新バンドに合流することになった。

松本は、今度こそ新バンドの詞は日本語でやりたいと、細野を説得する。大瀧も日本語に反対したが、松本は年長で頑固者のふたりを、どうにか説き伏せる。大瀧いわく、松本は日本語の有意義を、子供のように駄々をこねるが如く力説したという。大瀧は野球や相撲や落語が好きで、松本とは趣味が違った。ただ漫画が共通点だった。ちょうど漫画雑誌『ガロ』が全盛期で、その話で盛り上がった。しかし大瀧の、初対面の松本への印象は悪かった。細野宅で会った松本は、黒い衣装に身を包んでソファにじっと座ったまま、大瀧にひとことも口をきかなかった。「慶応の嫌な野郎」と、早稲田の大瀧は思った。

さらなる大瀧の証言によると、細野は新バンド結成にあたり、ドラマーを旧知の高校生林立夫にするつもりだった。松本は第二候補だった。しかし林は他の者と新バンドをやりだしたため、松本になった。運命の大きな分かれ道だったことになる。

新バンド名は『ヴァレンタイン・ブルー』。みんな女性に縁がないので、ヴァレンタインにはブルーになると細野がつけた。事実、エイプリル・フールまでモテていた松本が、新バンドではだめになったとぼやいている。翌年、『はっぴいえんど』という歌ができると、「松本、このほうがいい」と細野がまた変えた。

松本の発案で、細野、大瀧の3人は、東北へクルマで旅をする。トランクにギターを入れ、大瀧のふるさとの岩手や、十和田湖、そして松本が子供のころ夏休みなどを過ごした伊香保なども回った。清里では、男だけではダメだとラブホテルに断られ、車中に泊まった。翌早朝、『抱きしめたい』の原風景となる、雪景色を走る機関車を目撃した。また大瀧詠一の『1969年のドラッグレース』も、この旅から生まれた。3人はこの旅で、新しいバンドへの意欲を高めていった。

ゆでめん

とある日、松本は友人を訪ねるため、当時住んでいた西麻布から冨士見坂を上り、テレ朝通りでタクシーをひろう。その日は雨降りで、車中から印象的な六本木の情景を、頭の中で詞に綴った。友人の部屋には大瀧がいて、部屋に着くなり大瀧がすでに書いていた曲に、即興の詞を載せた。あまりの早い仕上がりに大瀧は驚いた。こうして『12月の雨の日』の原曲ができあがった。

歌をつくり始めたものの、新バンドにはリードギターがいない。細野は旧知の天才少年鈴木茂に声をかける。大学浪人中の鈴木も、松本と同様細野に口説く落とされた。松本の家に細野と鈴木が集まり、ほぼ出来ていた『12月の雨の日』に、鈴木が印象的なイントロフレーズを加えた。はっぴいえんどとして初めての歌が誕生した。

『かくれんぼ』の詞は、渋谷の喫茶店で書いた。換気が悪く、煙草の煙が漂っていて、その雰囲気をまとめた。ファンの女の子とお茶を飲んでいたのだが、話すこともなくなり、ノートに詞を書くふりをしていたら自然にできてしまった。レコーディングのとき大瀧は、「曇った冬」を「曇った空」と歌ってしまう。松本は歌詞カードを書く段になって誤りに気づいた。手遅れだった。

松本ははっぴいえんどのマネジメントを、石浦に依頼する。石浦は慶応の工学部に進んでいた。このころ松本は、高校時代の3年間すっかり忘れていた文学や小説、詩の世界に戻っていた。ローレンス・ダレルや、マンディアルグ、ジュリアン・ブラックなどを、石浦とまたやりあった。これらと、松本が好きな日本の漫画の世界が混然一体となり、ゆでめんの詞はつくられた。方法論は確立されていなかった。「メチャクチャに書いていた」と松本は振りかえる。

ゆでめんのコンセプトとしての日本的な情緒について松本は、当時劇画雑誌の『ガロ』が売れていたことを理由に挙げている。詞の世界を、漫画家のつげ義春の世界を音楽で表現しようと思い立ち、松本はその路線を勝手に走り出した。その独特の色合いに他のメンバーはついてゆけず、仲がギクシャクしてしまった。ゆでめんの独特の歌詞カードは、松本と石浦が独断と偏見でつくった。鈴木はゆでめんを、暗くて好きではないという。

ゆでめんの録音を終えたあと大瀧の言葉が残っている。 「これでもう充分に日本の音楽界に足跡を残すことができたんだって、本当に力強く思った。当時松本の彼女がレコード屋さんの店員をしていたけれども、その彼女が『はっぴいえんどは日本のビート
ズ』って言ったのを覚えている」。

岡林信康

はっぴいえんどを名乗って活動する一方、岡林信康のバックバンドとしても活動するが、これはお金の問題だった。バンドとしての技量向上にも役立ったが、これら以外に松本らに得るものはなかった。そもそもメンバー全員、岡林の音楽がわからなかった。このコンビは、同年12月に解消する。

岡林と松本にまつわる話を、大瀧が語っている。「岡林さんはいい人だった。(ツアーで)松本がドラムを持って歩きたくないとわがまま言った時、岡林さんが持ってくれた。オレも松本のシンバルを持って、大阪から家に帰ってきたこともある。ひどい奴なんだよ。自分の物を持って歩かない(笑)。未だ恨んでるよ(笑)」

風街ろまん

風街ろまんの詞は、石浦とふたりでつくった。それまでのすべての蓄積を吐き出した。松本がベッドで寝っ転がって詞を書き、部屋の隅で本を読んでる石浦に渡す。「どう?」「おもしろいね」。「ここがちょっと弱いね」など、石浦はアドバスしてくれた。共作というほどではないが、松本が出すアイデアやイメージに、石浦は理論武装をしてくれる特異な存在だった。歌謡曲の世界に入ってから5年ほどは、石浦が一緒だったらと何回も思った。

しかし石浦とは大ゲンカになったこともある。松本は2枚目アルバムタイトルを『風都市』とするつもりだった。しかし制作締め切り直前に、石浦が新しい事務所名やコンサート名に無断で使っていたことがわかったのだ。すでにコンサートチケットやチラシも刷っていた。アルバムに同じ名前は使えない。松本は激怒し、悔し泣いた。やむなく一晩考え、”風街”という言葉を思いついたが、何か足りないとさらに考え、”ろまん”を付け加えた。

風街の歌はほとんど詞先だった。松本は『風をあつめて』の「背伸びした~」を、自身でも気に入っている。レコーディング当日、細野はこの詞を床に広げ、スタジオの廊下の壁にもたれてギターを弾いていた。「どんな曲?ちょっと聴かせてよ」と松本が訊くと、「まだ未完成なんだ。ちょっと待って」と、細野はまたギターを弾きだした。レコーディング直前なのにこの人は何言ってんだ、と松本はあきれた。歴史に残るこの名曲は偶然できた。

松本は他の三人を全面的に信頼していて、詞が渡ったらあとはその感性に任せた。『暗闇坂むささび変化』は最初、大瀧に詞を渡したが出来ず、細野に回ったもののこれまたうまくゆかず、ふたりの間を詞が行き交った。この頃の松本は、湯水のように詞があふれ出した。『抱きしめたい』は、岡林のツアーで青森から帰る食堂車で、紙ナプキンに書いた。

『はいからはくち』というフレーズを思いついたのは、69年の夏、細野の家に行く都電が清正公前に停まったとき、ポンッと浮かんだ。ただこのフレーズを詞とするまでは、1年かかった。ようやくできた翌年8月、日比谷の野外音楽堂で松本は、後ろから大瀧の肩をポンと叩く。そして「詞ができたよ」と『はいからはくち』を書いた紙を預けると、そのまま去っていった。松本の詞の渡し方は、いつもさりげなかったと大瀧は言う。他の本に書かれている大瀧の、遠慮ないストレートな別の表現によれば、「さっと立ち去った。またカッコつけてね」。

結婚

71年5月、松本は結婚式を挙げる。メンバー一番乗りの、まだ21歳での結婚だった。新婦は細野の小学校の同級生。しかしその出会いに細野はまったく関係ない。奇遇に三人は驚いた。はっぴいえんど解散時、新妻のお腹の中には子供がいた。

解散

風街ろまんで完全燃焼した4人は、目標を見失い、それぞれの音楽志向が強くなっていった。細野と鈴木はその後、スタジオ・ミュージシャンとしての活動を本格化させ、大瀧はソロ・シングル&アルバムの制作にとりかかる。松本は柳田ヒロ、五つの赤い風船など、他のアーティストへ詞の提供を始めた。本格的な作詞家への転身はまだ先のこととなる。

風街ろまんが出てしばらくして、はっぴいえんどは解散が決まった。細野と大瀧がふたりで決めた。松本と鈴木は結果だけを知らされ、目が点になった。解散の理由は、細野と大瀧の確執ともされる。あまりのことに松本は、椅子を蹴飛ばして部屋を出て行ったとされる。しかし松本に言わせると、解散話があったレコード会社の応接室は、重いソファしかなかったという。松本は細野と大瀧の関係悪化を知っていた。風街ろまん『花いちもんめ』の煙突の比喩は、間に挟まり困り果てた松本が詠った。

HAPPY END

こうしてはっぴいえんどは解散することになったのだが、3枚目のアルバムをつくることが決まってしまう。最後のアルバムをつくりたいレコードプロデューサーの発案だった。大瀧は、アメリカでの録音技術を学ぶ機会だと乗り気になる。そして他のメンバーを説得。海外志向のない松本は反対するも、細野と鈴木は賛同し制作が決まる。

松本は海外録音どころか、バンド活動に意欲を失っていた。細野は「松本はその頃、一番ひねくれていた。もうドラムは叩くのを嫌がっていた。みんなにドラム技術をくそみそに言われ自信をなくし、作詞家になる決心をしていた」。鈴木も「松本さんのドラムは非常に素晴らしいと思うんだけれど、頭がズレるし、オカズが入ると頭がどこにいっちゃうかわからなかった」。

アメリカ行きが決まっても、風街で燃え尽きた松本は詞が書けなくなっていた。鈴木の詞だけは書くが、アメリカではドラムを叩くだけ。細野と大瀧には、ソロアルバムスタンスのつもりで、自分で書いてくれと頼んでいた。しかし現地に着いてから大瀧が、どうしても書けないと泣きついてきた。しかたなく松本は日本に国際電話。家に書き溜めてある詞を、妻から聞き取った。松本は3枚目のアルバムは手抜きの極致だとする。好きではない、存在してほしくないアルバムとまで言う

松本は結局は大学を中退するが、解散後、一旦大学に戻った。石浦は、細野や鈴木らのキャラメル・ママのマネジメントなどを2年ほどやったのち、都合5年ほどいた音楽業界を去った。メンバーの行く末を石浦は心配していた。石浦自身は大学に、数学教員の職を求めた。

松本は第一エッセイ集『風のくわるてっと』を出版する。はっぴいえんど時代に書いた詞と、各音楽誌への寄稿文をまとめたものだった。松本はこの本を、三年後に上梓したエッセイ集『微熱少年』で「青春の墓標」と記し、さらには風街ろまんを「卒塔婆にもなりはしない」と、自らの数年前の作品を突き放している。このころの松本の心理状態が垣間見えるようでもある。

はっぴいえんどの正式な解散日は、1972年12月31日となっている。

解散コンサート

すでに解散はしていたが、翌73年9月21日、コンサート『CITY Last Time Around』に、メンバー4人ははっぴいえんどとして出演。この最後のステージで松本は、バンド人生を気持ちよく、そして完全燃焼することができた。解散は自分が決めたことではなかったが、四つどもえの総体的な価値観から逃れたいという思いもあった。ドラムは好きだったけれど、細野以外のベースでドラムを続ける気もしなかった。これで心置きなく作詞家になれると思った。

最後の『春よ来い』を演り終えると松本は、スティックを宙に大きく放り投げた。

はっぴいえんど解散コンサート

ブログあとがき

今回このブログを書くにあたり、冒頭に記した資料から、松本隆の人となりのエピソードをピックアップしていったのですが、有名な話は形を変えあちこちに書かれていました。たとえば松本隆と細野晴臣が初めて出会ったときのシーンは、様々なパターンで綴られています。これが異口同音程度であれば問題はないのですが、記憶のズレという程度では収まらないほどの差異があり、少々困りました。

むろんどれが本当の話なのかわかりません。よってこういう場合は勝手ながら、複数の話からひとつを採るか、あるいは話を重ね合わせるなどしました。ストーリーの大勢にはなんら影響のない、細かな点なのですが、松本隆ファン、はっぴいえんどフリークといわれる方々にとっては、疑問に感じるかもしれないということです。これらの箇所については、複数の元ネタがあったということです。ご理解ください。一方、同じエピソードは、欠けていたパズルがピタリあてはまる感もあり、より緻密な内容にすることができました。

なお、松本隆が最後のドラムを演じた、コンサート『CITY Last Time Around』は、ライブ盤が発売されています。そしてアルバムジャケットには、松本隆の『はやすぎた回想録』と題した一文が刷り込まれています。解散の心境を綴った貴重な名文です。ブログの最後に、そのスキャン画像を転載させていただきます。なにぶんもう45年も前のジャケットのうえに保管状態がよくなく、また画像を切り貼りつなぎ合わせたためお見苦しいのですが、ご一読願えればと思います。

もっと自然へ、もっと人へ、アルセーヌとともに

特捜班ヴィクトール

モーリス・ルブランによって書かれた作品。

特捜班ヴィクトール刑事は、ある日映画館で非常に美しい女性を見かけます。

映画が終わりその女性を観察していると、突然誰が「泥棒だ!」と叫びます。

職業柄ヴィクトールはその男の後を追い、泥棒をともに捕まえようとします。

しかしその男アルフォンス・オディグランは、ヴィクトールが刑事だと知ると途端に挙動不審になります。

訝しがったヴィクトールはオディグランを警察に連行します。

実はオディグランが盗まれたのは、彼自身が銀行から盗んだ90万フランの国防債権だったのです。

オディグランが盗んだ国防債権を数人の素人泥棒が代わる代わる盗んでいきます。

ヴィクトールは同僚とともに最後の素人泥棒を追い詰めます。

その現場には、映画館で出会った美しい女がいました。

同時期にヴィクトールは国防債権が盗まれた地域で、怪盗アルセーヌ・リュパンが目撃されたという情報を得ます。

ヴィクトールは謎の美しい女はリュパンに関係していると直感し、独自で捜査を進めます。

ヴィクトールはリュパンを逮捕できるのか。

↑ 下手な文章。

ネタバレ感想

読みにくい作品でした。

これは設定云々ではなく、文章自体が角ばっていることと、人物描写の描きわけが中途半端なことが原因でしょう。

また流れるような文章とは程遠い、下手な文章構成。

これはルブラン自体の責任なのか、訳者の腕がないのか。

兎にも角にも本当に読みにくい作品でした。

お蔭様で5回も途中で断念しましたから。

さて、内容ですが、もし流れるような文章を書けていてもつまらなかったでしょう。

もっともヴィクトール対偽リュパンの構図は面白いですが。

その構図になるまでは非常に単調です。

華がないヴィクトールの単独捜査シーンや同僚警部との張り合いっこがメインで、謎自体の魅力に欠けます。

アリバイを崩すことなく退屈な謎を追う なんて、面白いと思います?

同じようなものです。

だって謎が国防債権だけなんですもの。

もちろん殺人事件もありますが、それも国防債権に絡んでいますし。

謎の女も出てきますが、いまいちミステリアスさに欠けますし。

いろんな登場人物が出てきますが、一人一人平凡極まりないですし。

どうにもこうにも盛り上がらない!

漸く後半でリュパンが登場しますが、いつものリュパンらしくないです。

そもそも東部で目撃されていたこと自体おかしいのですが、それは生憎スルーしていました。

もっとも初めの段階からヴィクトール=リュパンだと目星はつけていました。

けれどリュパンと名乗る男が登場した以上、ヴィクトール=リュパン説は捨てました。

そして成り行きを見守ると、どうにもこうにもリュパンが冴えません。

ここにきて再度偽リュパン説が私の中で湧きあがりました。

結果はリュパンが偽リュパンを倒します、呆気なく。あまりにも呆気なく。

国防債権の行方を書きたいのか、1000万フランの行方を書きたいのか、リュパン対偽リュパンの攻防を描きたいのか・・・焦点が定まらないのは問題です。

個人的にはリュパン対偽リュパンの構図をもっと前面に出してもらいたいです。

敢えてヴィクトールを隠れ蓑にしないで、初めからリュパンであったほうが面白いと思います。

自分を名乗る不届きものを成敗!というテンションのほうがよかったです。

何かの作品でリュパンは、警察を隠れ蓑にしていたような気が・・・。

けれど個人的にはルパン三世Green Vs Redを彷彿させる作品だと思います。

総じて、非常に微妙な作品です。

事件の発端が美女に目が奪われたというのは、リュパンらしい(笑)


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