野外 父の苦労は見えにくい。
何なんこれ
中学聖日記の黒岩くん
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何なんこれ
中学聖日記の黒岩くん
12月1日(土)
名古屋発 8時
参加人員 39名
ナビゲーターは 織豊系城郭研究専門家・加藤理文氏
普段は 公立中学校で教鞭を執られているそうです。
加藤先生とは
2014年5月 神奈川・静岡の6城めぐりでナビゲーターとして
2015年8月 信長塾~「新説・信長の城」の講義を受けと
3回目の出会いです。
大阪府大東市から四條畷市にまたがる山城を攻略してきました。
11時30分
JR野崎駅近くの小学校内に駐車させて貰い下車
(道路が狭く この先にバスは進めないようです)
朱塗りの橋 左側がJR野崎駅です。
真っ直ぐに延びる野崎参道を進むと
慈眼寺 通称・野崎観音です。
200段近い石段を上り詰めると
近松門左衛門の「お染め久松」
♪ 野崎参り~は 屋形舟でえ参ろう~か の野崎小唄・・・
ふるい? 古過ぎですネ
で お馴染みの野崎観音です。
どうぞ中に入ってお参り下さい・・・ですが外からお参りさせて頂き
先へと進みます。
12時 ここからが本番です。
以前に飾られた絵馬を拝見しながら 慈母観音様に見送られての
山行です。
分岐地点 此処から飯盛山までは78分です。
野崎城址道 左側→を進みます。
標高・100mに在る 大東の杜・休憩広場前を抜け
分岐点から6分ほどで 野崎城址へ
飯盛山の南西の尾根 最も突き出ている地であることから
軍事上 重要な役割を担っていた標高・111mの地点に在り
碑のある辺りは かって本郭が建っていた所だと。
飯盛城が築かれた16世紀中頃以降は その出城だったと
考えられているそうです。
「下りですが また直ぐに上りになります」と
可愛い!!
癒され(すでに疲れ気味です)標識です。
飯盛山まで 65分です。
七曲りコースへと入って行きます。
曲がり曲がった山道が続く・・・きっつ~い。
前方について歩き 少し間を開けて撮ります。
御嶽教々祖の碑?
人一人通れるほどの山道で 何となくバラバラ感のある列
加藤先生は 後尾に付いているので 説明を聞くことなく
ただ黙々と足元に注意を払って歩きます。
岩を削って造られた道?
分岐地点
ショートカットの左側→竹林コースです。
此処で 加藤先生を待ちます。
七曲りコースは右側と言うこと大東市野外活動センター方面へです。
野崎観音から 30分
飯盛山までは 36分
25m先には 辻の新池と。
山中で現れる池
水のある光景に ほっ~です。
言葉数は殆ど言うか 全く無し黙々です。
飯盛山まで 12分
前方に延びるのは 土橋 そして左右には竪堀です。
いよいよ核心部へと
崩れた石垣
かって城門が在った地
虎口になっています。
石段を上り その先に見る光景に高揚感を覚えます。
土塁 かって南丸跡です。
城の南部に位置する城内最大の曲輪は 本丸千畳敷跡です。
現在は
NHK飯盛山FM放送局/FM大阪飯盛山送信所が経っています。
頂上には
1348年・正平3年/貞和4年の四条畷の戦いで 足利側に敗北し
自害し果てた 楠木正成の嫡男・楠木正行(まさつら)の銅像です。
標高・314.3m 飯盛城跡
13時35分 昼食タイムを兼ね休憩です。
・・・殆どの方は 移動車中で済ませていましたが
「済ませていないのは 僕だけですか」と 加藤先生。
飯盛山展望台
曇天 残念な眺めでしたが 左側には突出しているビル
日本で最も高いビル 300mのあべのハルカスです。
何時か あべのハルカスからの眺望を楽しんで見たいです。
眺望日和だと この様な眺望を楽しむことが出来るそうです。
加藤先生が持っていた
高槻市立歴史民俗資料館にあるパンフレットから撮らせて頂きました。
加藤先生のお顔は バッチリ
私の顔は 出せません。
後半へと続きます。
12月1日(土)
名古屋発 8時
参加人員 39名
ナビゲーターは 織豊系城郭研究専門家・加藤理文氏
普段は 公立中学校で教鞭を執られているそうです。
加藤先生とは
2014年5月 神奈川・静岡の6城めぐりでナビゲーターとして
2015年8月 信長塾~「新説・信長の城」の講義を受けと
3回目の出会いです。
大阪府大東市から四條畷市にまたがる山城を攻略してきました。
11時30分
JR野崎駅近くの小学校内に駐車させて貰い下車
(道路が狭く この先にバスは進めないようです)
朱塗りの橋 左側がJR野崎駅です。
真っ直ぐに延びる野崎参道を進むと
慈眼寺 通称・野崎観音です。
200段近い石段を上り詰めると
近松門左衛門の「お染め久松」
♪ 野崎参り~は 屋形舟でえ参ろう~か の野崎小唄・・・
ふるい? 古過ぎですネ
で お馴染みの野崎観音です。
どうぞ中に入ってお参り下さい・・・ですが外からお参りさせて頂き
先へと進みます。
12時 ここからが本番です。
以前に飾られた絵馬を拝見しながら 慈母観音様に見送られての
山行です。
分岐地点 此処から飯盛山までは78分です。
野崎城址道 左側→を進みます。
標高・100mに在る 大東の杜・休憩広場前を抜け
分岐点から6分ほどで 野崎城址へ
飯盛山の南西の尾根 最も突き出ている地であることから
軍事上 重要な役割を担っていた標高・111mの地点に在り
碑のある辺りは かって本郭が建っていた所だと。
飯盛城が築かれた16世紀中頃以降は その出城だったと
考えられているそうです。
「下りですが また直ぐに上りになります」と
可愛い!!
癒され(すでに疲れ気味です)標識です。
飯盛山まで 65分です。
七曲りコースへと入って行きます。
曲がり曲がった山道が続く・・・きっつ~い。
前方について歩き 少し間を開けて撮ります。
御嶽教々祖の碑?
人一人通れるほどの山道で 何となくバラバラ感のある列
加藤先生は 後尾に付いているので 説明を聞くことなく
ただ黙々と足元に注意を払って歩きます。
岩を削って造られた道?
分岐地点
ショートカットの左側→竹林コースです。
此処で 加藤先生を待ちます。
七曲りコースは右側と言うこと大東市野外活動センター方面へです。
野崎観音から 30分
飯盛山までは 36分
25m先には 辻の新池と。
山中で現れる池
水のある光景に ほっ~です。
言葉数は殆ど言うか 全く無し黙々です。
飯盛山まで 12分
前方に延びるのは 土橋 そして左右には竪堀です。
いよいよ核心部へと
崩れた石垣
かって城門が在った地
虎口になっています。
石段を上り その先に見る光景に高揚感を覚えます。
土塁 かって南丸跡です。
城の南部に位置する城内最大の曲輪は 本丸千畳敷跡です。
現在は
NHK飯盛山FM放送局/FM大阪飯盛山送信所が経っています。
頂上には
1348年・正平3年/貞和4年の四条畷の戦いで 足利側に敗北し
自害し果てた 楠木正成の嫡男・楠木正行(まさつら)の銅像です。
標高・314.3m 飯盛城跡
13時35分 昼食タイムを兼ね休憩です。
・・・殆どの方は 移動車中で済ませていましたが
「済ませていないのは 僕だけですか」と 加藤先生。
飯盛山展望台
曇天 残念な眺めでしたが 左側には突出しているビル
日本で最も高いビル 300mのあべのハルカスです。
何時か あべのハルカスからの眺望を楽しんで見たいです。
眺望日和だと この様な眺望を楽しむことが出来るそうです。
加藤先生が持っていた
高槻市立歴史民俗資料館にあるパンフレットから撮らせて頂きました。
加藤先生のお顔は バッチリ
私の顔は 出せません。
後半へと続きます。
いでよ、子河童たちよ❣️
えいやっさっ❣️
アッヨィッショー❣️
アッドッコイ❣️
ドッコイショー❣️
はぁどっこい❣️
はいーはいっと❣️
うぃったうぃったうぃった❣️
ぼくらと握手❣️
あ、プロジェクターあるみたいですので、
焚き火の明かりだけで暮らしていた縄文時代の人の暮らしを再現しています。
どんぐり、普通においしい
19,440円
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この日を目撃した人も、見逃した人も、見てください!
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