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Nature Boy
(Eden Ahbez)
ある少年がいました
とても不思議な魅力を持った
少年でした
遠く々離れた国や海をこえながら
少年はあてのない旅をしていたと
人々は言います
少し恥ずかしがり屋で
悲しい目をした
けれど、たいそう賢い少年でした
ある日、
不思議なことが起こりました
私の人生に彼があらわれたのです
私たちはいろいろな話をしました
愚か者のことや
偉い人たちのこと
そして彼は私に
こう言い残しました
「まずは自分から愛を与えることさ
そうすれば愛はかえってくる
それが人間が学ぶべき
最も大切なことなんだ」 と…
(日本語訳:東エミ)
1947(昭和22)年に
Eden Ahbez(エデン・アーベ)によって作られた曲 「Nature Boy」。
美しい旋律にのせられた歌詞は、
宗教的というか哲学的というか神秘的というか…
それもそのはず、作者のエデンは自然への回帰を提唱するヒッピーで、
家を持たず寝袋を担いで放浪の旅をし、
その中で人生の真髄を見いだそうとした人物。
むむ。まさにこの方、
この歌 「Nature Boy」 を地でいった人と言えますね。
曲自体を大ヒットさせたのは Nat King Cole の歌声でしょう。
喉の響き美しい “ナッキンコール” の声には、何度聴いても鳥肌が立ちます。
ファーストリリースは1948年のことです。
個人的には Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド) と
Joe Pass(ジョー・パス) のデュオアルバム
「Fitzgerald & Pass Again」に収録のヴァージョンが好きですね。
いぶし銀のような静かで落ち着いたサウンドが心に染み渡ります。
またこの曲は、映画のサウンドトラックとしても過去によく使われています。
2001年に公開されたミュージカル映画 「Moulin Rouge」 では、
David Bowie がこの曲を歌っています。
本家本元。まさに “Nature Boy” を地でいった作者・Eden Ahbezの歌声はこちら!
Nat King Cole/Nature Boy. 元祖、ナッキンコールの深い歌声はこちら!
Ella Fitzgerald/Nature Boy. 紙芝居の映像がこの歌の物語を再現しています。
Kurt Elling/Nature Boy. セクシーな声です。
Jamie Cullum/Nature Boy.
Pomplamoose/Nature Boy. 彼女の脱力した声がいいです。
Lizz Wright/Nature Boy. ヴォーカルとパーカッションだけ。大地を感じます。
Johnny Hartman/Nature Boy. スウィング!スウィング!
John Coltrane/Nature Boy.
Miles Davis/Nature Boy.
東エミのジャズ&洋楽訳詞集!
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ジャズ歌手・東エミ オフィシャルブログ
「歌詞・フレーズ」部門でランキング1位も!
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HP
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hiver(イヴェール)のFUYUKOです
女性限定・最大4名
初心者様もご参加頂ける教室です
サロンの場所は
南海電鉄なんば駅徒歩4分のビルになります
*お申込頂いた方に詳細をご連絡致します
グルーデコ ®︎界の同期3講師様による
*アルファベット順にて記載
2014年の秋にコラボ企画レッスンコース
〜 Let’s Fun glue deco 〜
・アクセサリーコース4講座
・JEWELL BALL®︎3講座
そのうちの
25㎜カモフラージュ
当サロンでもレッスン可能です
去年の夏に私は
salon de beads +M のmikiko講師より
レッスンを受講したのですが
愚か者の私…
2016年春に認定講師を取得したとはいえ
Let’s Fun glue deco コースの存在を知らず
さて!とレシピを広げたところ
三大講師様のサロン名が記載されていて
驚きと嬉しさに手が震えたもんです(笑)
グルーをカモフラージュ柄にする方法
25㎜の球体に素早くチャトンを設置する方法
ブルーの扱い形の整え方など
認定講師講座で受講した
JEWELL BALL®︎3講座の
更にスキルがあがるレッスンです
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愚か者 感動のないものは造らない。
始めはツイートするつもりだった。
でも、あの文字数では足りない。
そこで、皆さんが書かれているブログを思い出し、書いてみようと。
自分の気持ちを書き出してみたい。
それだけならメモなり日記なりがあるが、あえてブログを選んだのは、あわよくば、誰かに読んでもらいたい。そんな気持ち。
初めに、私について簡単に。
高校3年の18歳
小学5年頃ももクロに出会い、当初から杏果よりの箱推し
あの日から1年間さまよい続け、今は胸を張って、4人のももクロの箱推しと言える
普段の口調だと感傷的になるため、ここではあえてこの文体を選ばせて頂きたい。
さて、本題に入る。
最近、杏果に対する批判の言葉をよく目にする。始めのうち、私はいちいちそれに傷付いた。
杏果だって頑張っているのに…。
色んなこと決めつけないで…。
幼稚な考えだった。何も見えていなかった。
私はあの日、1月15日。途方に暮れた。
人生で初めて、直感から好きになった人。応援したいと思った人。大好きなグループ。それが、欠けてしまうことが受け入れられなかった。
泣いた。かなり泣いた。何度も泣いた。
しかし私は、卒業ライブに行かなかった。
その日は、とても大切な試験があったからだ。ずっとその日のために勉強をしてきた。全てをかけていた。試験が終わってからでも、行けなくはなかった。幕張はかなり遠く、間に合わせることは不可能だが、最後なら見られるかも知れなかった。
しかし、2つを天秤にかけたとき、振れたのは試験の方だった。
これだけは分かってほしい。私は有安杏果と5人のももクロが本当に大好きだった。ライブを簡単に諦めた訳ではないのだ。それでも試験を選んだのは、試験が大切だから、というだけではなかったと、今なら思える。
最後を見るのが怖かった。
ももクロが4人になるのが、怖かった。
有安杏果がいなくなるのが、怖かった。
だから、Abemaも見られなかった。
見るのが怖くて、でもやっぱり見たい。結局見たが、開始3秒で携帯を閉じた。
涙が止まらなかった。まだVTRなのに、涙が止まらなかった。
そのままずるずると引きずり、私は厄介なこじらせオタクになってしまった。
高校に入ってから忙しくほぼ行けてはいなかったが、一切ライブに行かなくなった。テレビにももクロが映ると、無意識に目を逸らした。PVも見なかった。
反対に、杏果のTwitterとインスタは何度も見た。5人のときの動画も沢山見た。DVDも見た。
ライブでも運営主催でもないが、とあるイベントに、ももクロを掲げて参加した。その時の服装は、ズボンさえ赤であるものの、全身緑と呼べるものだった。
今考えると、かなり重症だ。厄介だ。
そして転機が訪れる。
体調不良で家で寝ていた私は、学校にいる友人のプニノフからのラインでそれを知った。
有安杏果、復帰。
不思議と涙は出なかった。純粋に嬉しかった。
そして、驚くほど簡単に、今までの呪縛から逃れた。
もう、緑を着ることはないな。
ももクロのライブ行きたいな。
箱推しのグッズ揃えなきゃな。
そんなことを、ぼんやりと考えていた。
本当に不思議だ。あんなにも必死に5人のももクロを心の中で保ち続けていたのに、こんなにもあっさりと振り切れるとは。
しかし、ここで終わりではなかった。
週刊誌の話だ。
私は、杏果の文章を呼んで、涙を流した。週刊誌記者に対する、憤りが溢れ出たのだ。
お付き合いしてる人がいる。そんな報告は、ある意味無責任なのではないか。破局の可能性だって十分ある。結婚が決まってからの報告が、普通なのではないだろうか。杏果も、そうするつもりだったはずだ。
それを、こんな望まないタイミングで発表させられるなんて。そういう憤りだ。
そして私は、Twitterで検索をかけて驚愕した。
厳しい意見ばかりだったのだ。中には、意見とは思えないようなものもあった。
そしてどこからともなく、48歳、というワードが上がった。精神科医、もついてきた。
最初は信じなかったが、次の日には信じざるを得なかった。テレビでは、杏果がコメンテーターに批判されている。怖い。Twitterでは、モノノフに批判されている。怖い。
元より、緑排除があるのは知っていた。怖かった。だが、それよりも怖かった。ただ、怖いの種類は違った。
自分の軸が、崩れそうだった。
私は、有安杏果が好きだ。病的だった。それで、2018年1年を無駄にしたのだ。
しかし、Twitterの批判が、私の意志を揺さぶってきた。批判は、正論だった。もちろん、認められない意見もあった。でも、刺さるものがあった。
盲目的に杏果を見ていた私は、ここでやっと目を覚ました。やっと、普通の視点で物事を見られるようになった。怖いと思っていた批判の意見が、それに目を向けることで、私は生き返った。
今思う。
こんな考えをしていた私なんかが言っては、怒られてしまうかもしれない。もう既に、私の考えが許せない人がいるかも知れない。否、いるだろう。だが、思う。
4人のももクロは、すごい。
私は1年目を背けてきてしまったが、それをとても悔いている。
私のようにライブに行かなくなったり、緑のペンライトを光らせたり、杏果コールをしてみたり、そんな厄介な緑推しにさえ、優しく笑顔を届けようとしてくれていたのだ。緑でもいい、と言ってくれたのだ。いい訳がないのに。ももクロは4色なのに。
こんなに強いアイドルがいるだろうか。
私は愚か者だ。一点しか、見えていなかった。
どうしたらいいのだろうか。今まで7年間、辛いときに救ってくれたのは、いつでもももクロちゃんだった。どうして、そんな大切なことを、当たり前のことを忘れてしまっていたのか。
私には、4人のももクロを応援しない理由がない。むしろ、この1年間の穴を埋める為にも、もっともっと応援しよう。
今年から大学生になる。第1志望校だ。
受
の辛いことも、吹き飛ばしてくれたのはももクロちゃん。ももクロの歌をずっと聴いていた。
唯一聴けた4人の歌がある。「クローバーとダイヤモンド」だ。この曲を聴くと、頑張るスイッチが入る。辛くて泣きたい時、自然と涙を流せる。
今の私があるのは、ももクロちゃんのおかげでもあるのだ。
今年はたくさんライブに行くぞ。
服装は、今のところは黒かな。
でも、実は夏菜子ちゃんに惚れつつある。
いつの間にか赤になってたりして。
もう1つ。
有安杏果も、変わらず応援し続ける。
杏果に救われた事実は、覆りようもない。
5年後どうなっているか。
今はゆっくり、見守っていく気持ちでいきたい。
もちろん、機会があればライブにも行く。
ももクロは、私の青春だ。
まだ18年しか生きていないが、他人事でここまで苦しくなったり、嬉しくなったりすることは、人生で初めてである。
ももクロちゃんには、大切なものを教えてもらった。
そんなももクロちゃんを、そして、憧れである杏果を、ひとまず、私は応援していく。
拙文ではありますが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
批判が怖いです。こういう考えの人もいるんだ、くらいの気持ちで済ませて頂けたら嬉しいです。